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2016年1月14日のブックマーク (5件)

  • 私の名前のない痛みと愛情を。 - くらむせかい

    2016 - 01 - 13 私の名前のない痛みと愛情を。 一度限りの。 普段はくらむと言いますが、便宜上私と言います。 普段と違う感じですが今回のみです。 私は、二人目の子供です。私が生まれた時にはすでに、私以外の子供が家庭には存在していました。 物心と言うものが、一体いつの頃からを指すのかはよく分かりませんが、私の最も古い記憶にも、たしかにその存在はありました。 両親から、いわれのない、或いは理屈の通らない、必要以上の、肉体的精神的な暴力を受ける事を『虐待』と言いますが、私は幸いにも、両親からそのような暴力を受ける事はありませんでした。 私は時に、一人っ子だと申告して生きてきました。 その場合、当り前ですが私は第一子という事になります。あとも先もない、一人になるのです。 実際、日常を生活するうえで、そのような一人の状態である事の方が多かったので、周囲から見ると私は一人っ子だったと思いま

    私の名前のない痛みと愛情を。 - くらむせかい
  • 「ハゲ」という言葉はいずれ差別用語になるかもしれない - 小金井書房ブログ

    「ハゲ」は侮蔑、侮辱的な言葉 髪の毛の薄い人に対して「はげ」という言葉は、今の社会では割と一般的に使われています。テレビなどでも「ハゲ」って普通に使われていますよね。 そのことに対して私はどうも違和感があります。一言でいうと、これは髪の毛の薄い人に対する侮蔑的な言葉であって、みんな普通に使っているけれど来は差別にあたる言葉なのではないかと思うからです。 とはいっても、「禿げ」とか「禿げる」という言葉自体は、単に髪の毛が抜けて頭皮が露わになる様を差す言葉にすぎませんし、また、山などの草木がなくなることを指す言葉でもあるので差別用語ではないと思います。 問題なのは、いわゆる「ハゲ」と表記されるような、人を笑ったり馬鹿にしたりするような使い方です。 特にテレビでは笑いのネタに使われることが多 いですよね。 人にはそれぞれ様々な身体的特徴があるものですが、他の身体的特徴と違って髪の毛が薄いという

    「ハゲ」という言葉はいずれ差別用語になるかもしれない - 小金井書房ブログ
    karotousen58
    karotousen58 2016/01/14
    「頭髪の量は人それぞれ。ただそれだけ。よいも悪いもない。価値基準をわざわざつけること自体が失礼。」と私は子供の頃から思っている。このような「暗黙の了解(という偏見)」を読み取る力の弱すぎる、自分が怖い。
  • 借金玉さんはTwitterを使っています: "発達障害を丸ごと武器にして勝っちゃう人ってたまにいて、そういう人が「これは障害ではない、個性だ、障害と呼ぶな」って言い出した時の問題本当��

    ツイートに位置情報を追加する 位置情報と一緒にツイートした場合、Twitterはその位置情報も保存します。 毎回ツイートする際に、位置情報を付加する/付加しないを選択することができ、いつでも過去の位置情報を全て削除することも可能です。 詳しい説明

    karotousen58
    karotousen58 2016/01/14
    (「各種資本や家族の社会的地位に恵まれ、本人が何かアドバンテージを持つ」障害者だけを見ている)統合教育崇拝者が、よくそのようなことを言う。そうして、それらを持たない障害者を黙らせる。これも悩ましい。
  • “灘中→麻布高校→東大”で、抱き続けた劣等感 - エキサイトニュース(1/3)

    ■「悔しいのですが、天才はほんとうにいる」 「劣等感にずっとさいなまれてきたから、私しか持っていない力で勝負してやろうと生きてきました。私の力では、絶対に勝てない人たちはいます。悔しいのですが、天才はほんとうにいるのです」 東京大学地震研究所の准教授だった都 司嘉 宣(つじ・よしのぶ)さん(68)が、自らのキャリアを振り返った。長年にわたり、津波や歴史地震学の権威として精力的な研究活動を続けてきた。2011年3月11日の大震災では、発生直後からNHKの番組などで津波についての解説をしたことでも知られる。 12年3月に64歳で定年退官し、現在は、深田地質研究所(文京区)の客員研究員などを務める。東北大学の研究者らとともに調査をし、論文を精力的に書く。一方で、海外の研究者が来日すると、東北などの被災地を英語ロシア語を駆使して案内する。 都司 さんは甲子園球場の近くの小学校に通っている頃は、常

    “灘中→麻布高校→東大”で、抱き続けた劣等感 - エキサイトニュース(1/3)
    karotousen58
    karotousen58 2016/01/14
    「劣等感のレベルが違う」が正直な感想。「他の人全員ができていても、お前一人だけがダメだから、『あのグループはダメ』とグループ外の人から思われる。それに対して責任も取らない」などと詰られ続けての劣等感
  • 「塾に依存した学校の授業」はなぜ生まれたのか

    shinshinohara @ShinShinohara 私が中学1,2年の頃、塾に通っていたのは3割程度だったように思う。3年生になると約6割。塾に行っている子どもは好成績だったかというとそうでもなく、どちらかというと、「塾にでも行かなければ勉強なんか絶対しない」という理由で通っていた同級生が多かった。 2016-01-06 18:47:26 shinshinohara @ShinShinohara しかし私の世代以後は徐々に塾に通う子供が増えて、私が塾で教え始めた頃(90年代初め)には、中学1年生の6割程度が塾に通うようになっていた。中学3年だと8割弱になっていただろう。85~90年のバブルの頃から、教育お金をかけられるようになったのも理由の一つだろう。 2016-01-06 18:50:34

    「塾に依存した学校の授業」はなぜ生まれたのか
    karotousen58
    karotousen58 2016/01/14
    私とは観測範囲が異なる模様。私の観測範囲では、「学校は、先生一人に対して生徒多数。どうせうちの子はその環境では無理。指導者に監視されないとダメに決まってる。だから塾や家教。」と親が決めつけるケース多し