根拠のない説を信じ込み,増幅していったこの事件には,うんざりするような特徴が多々ある.その一つが,たとえば仮に一部の北極圏言語に雪を表す語根が多数あったとしても,そのこと自体は知的関心をもつに値しないという事実である.そんなことはありふれている.馬の育種者は馬の血統,大きさ,年齢などを数々の単語で区別する.植物学者は葉の形をさまざまに呼び分ける.印刷業者はフォントにいろいろな名前(カスロン,ガラモンド,ヘルヴェティカ,タイムズ・ローマンなどなど)をつけている.どれも当然だろう. しかし,できのわるい言語学教科書に載せられたイヌイットの例のような与太話を,印刷業者について書こうなどと誰が思うだろう.たとえば,ある教科書は大真面目に,「イヌイットの文化においては明らかに,雪が重要な意味をもっているために,英語では一つの単語,一つの意味に対応する概念領域が,いくつかの分明なカテゴリーに切り分けら