まだ、前のエントリーが途中だが。なんか頭の固い司書の古い図書館学を懐かしんでいるのが、単なる私情で今のネットが嫌いだと書いているだけで、全然性的な話に進んでいかないなあ。 日本語について語られる状況についての私憤を先日書いたところ、何故かブックマークが(私にしては)一杯ついていてビックリしている。こんなブログなんか読まなくていいのに。dlitさんのところの学識と良識に満ちたエントリーをこそ是非にも読んでほしいものだ。 その、珍しいブックマーク関連で、こんな記事http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/6f7cc3b6a4b704e7b9573f8812f4d5e1を見つけた。多くのコメントとブックマークが付いている。私はルサンチマンを抱くべきだろう。そして、これを機に、電波なことを書いて、人々にこのブログの信用性を落とさせるべきではないだろうか。 私は池田信夫と
労働して5日目になったが、体の痛みはない。 休日が1日あったのだが、その日は痛かったし、労働前日の25日も痛かった。 してみると、私の体の痛みとは、何らかの焦りによるものではなかろうか。働いていないことの罪悪感、働くことへの不安、そういったものが痛みを生み出しているのではないだろうか。 まともでないことの兆候としての、まともであろうとすることへの意思としての、痛み。向現実的なものとして、私の体の痛みはある。欠如態の証として、私の痛みはある。 この痛みは、私の鬱の主訴として初期からあったものである。それは恐らく、修士論文執筆の葛藤や指導教官との確執に起因するものだったろう。そのときには、痛みは、学問的成果の実現に向けてそれが欠如している状態を表わしていたわけだ。 某君は、私の体の痛みは私の自己暗示なのではないかと言った。なかなか示唆的だ。 私は就職すれば、この痛みとおさらばできるのだろうか。
体調が悪いのに、珍しく久々に国語学めいたことを書いてみる。それはhttp://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20070623さんが、 日本語に主語はいらない (講談社選書メチエ) 作者: 金谷武洋出版社/メーカー: 講談社発売日: 2002/01/10メディア: 単行本(ソフトカバー)購入: 4人 クリック: 209回この商品を含むブログ (51件) を見るを褒めているからである。tokyocatさんほどの知的な方がこの本を誉めるのが不可解だからである。アマゾンでもbk1でも本質的な批判評はなかった。概ね礼讃である*1。 ただし、今日は体調が優れないから詳細な文献は示さない。手がかりは残すから、このブログ内で検索するなり、図書館に行くなりして欲しい。 前々から思っていたことだが、知的な人でも、一旦言語学のこととなると、極めて不可解なことを言い出すことがあるように思う。例え
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