エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
2008-12-31
労働して5日目になったが、体の痛みはない。 休日が1日あったのだが、その日は痛かったし、労働前日の25... 労働して5日目になったが、体の痛みはない。 休日が1日あったのだが、その日は痛かったし、労働前日の25日も痛かった。 してみると、私の体の痛みとは、何らかの焦りによるものではなかろうか。働いていないことの罪悪感、働くことへの不安、そういったものが痛みを生み出しているのではないだろうか。 まともでないことの兆候としての、まともであろうとすることへの意思としての、痛み。向現実的なものとして、私の体の痛みはある。欠如態の証として、私の痛みはある。 この痛みは、私の鬱の主訴として初期からあったものである。それは恐らく、修士論文執筆の葛藤や指導教官との確執に起因するものだったろう。そのときには、痛みは、学問的成果の実現に向けてそれが欠如している状態を表わしていたわけだ。 某君は、私の体の痛みは私の自己暗示なのではないかと言った。なかなか示唆的だ。 私は就職すれば、この痛みとおさらばできるのだろうか。