cakesは2022年8月31日に終了いたしました。 10年間の長きにわたり、ご愛読ありがとうございました。 2022年9月1日
中日は22日、工藤隆人外野手から現役引退の申し入れがあり、今季限りで現役を引退することになったと発表した。「松坂世代」の選手がまた一人、ユニホームを脱ぐことになる。 【最新版】今オフは”松坂世代”が次々とユニフォームを脱ぐ… 各球団発表、2018-2019年の引退、戦力外、自由契約一覧 工藤は2004年のドラフトで9位日本ハムに入団し、2008年オフにトレードで巨人に移籍。2011年6月にはトレードでロッテに移籍し、2013年限りで戦力外に。12球団トライアウトを経て中日に入団した。 プロ通算635試合出場で打率.254、1本塁打、49打点、34盗塁。2014年には10年目にしてプロ初本塁打を放った。 1980年度生まれ(工藤は1981年3月30日の早生まれ)の「松坂世代」は、今季限りで杉内俊哉投手(巨人)、小谷野栄一内野手(オリックス)、後藤武敏内野手(DeNA)、矢野謙次外野手(日本ハ
先日、DeNAの広報の人と横浜スタジアムの周辺を歩いていたら、増設工事が進む観客席を見上げて「新しい観客席もいっぱいにするためは、うちはもっと強くならないと」つとぶやいた。 DeNAといえば広島と並んでチケットがとりにくい人気球団だ。でも、球団の人にしてみれば「この人気がいつまでで続くのか」と思っているのだ。 ここ数年、プロ野球は観客動員を着実に増加させている。 2014年からのNPB公式戦の観客動員数の推移。%は平均動員観客数の前年対比の増減。 2014年 2285万9351人 平均2万6457人 2015年 2423万6920人 平均2万8248人 106.8% 2016年 2498万1514人 平均2万9115人 103.1% 2017年 2513万9463人 平均2万9300人 100.6% 2018年 2535万8666人 平均2万9798人 101.7% 2014→2018観客
プロ野球・巨人の来シーズンからの新監督に、過去2期・12年で3回の日本一を含む7回のリーグ優勝を果たした原辰徳氏の復帰が決まりました。原氏が巨人の監督として指揮を執るのはこれで3回目となります。 原氏は60歳、現役時代は巨人一筋で15年間プレーし、第48代の4番を務めて通算382本のホームランを打つなど、巨人のスター選手として活躍しました。 引退後はコーチなどを経て、巨人の監督を、平成14年から2年間、平成18年から10年間の2期・12年務めて通算947勝を挙げ、3回の日本一を含む7回のリーグ優勝を果たしました。 また第2回のWBC=ワールド・ベースボールクラシックの代表監督として日本を2連覇に導き、野球界への功績をたたえられ、ことし野球殿堂入りも果たしています。 巨人は、今シーズン4年連続で優勝を逃し、高橋由伸監督が辞任することを受けて、次の監督については経験や実績を重視して人選を進め、
中日・岩瀬仁紀(43)が日本プロ野球史上初の1000試合登板を置き土産に、ユニホームを脱ぐ。数々の奪三振記録を持つ江夏豊さん(阪神など)も、現役の最後は一番の目標にしていたという記録の持つ意味を考えてみた。2017年8月、米田哲也さん(阪急=現オリックスなど)の持つプロ野球記録、949試合を更新して1位になっていた岩瀬が、ついに大台に乗せた。■歴代最多通算セーブ数も更新このところは中継ぎを務
今季限りで現役を引退する中日・岩瀬仁紀投手(43)が、またまた金字塔を打ち立てた。28日の阪神戦(ナゴヤドーム)で4—3の9回に7番手でマウンドに上がり、前人未到の1000試合登板を達成した。先頭打者の糸原には死球を与えたが、中日に同期入団した福留ら後続を打ち取り、8月21日の同カード以来となる3セーブ目を挙げて自ら大記録に花を添えた。 試合後、お立ち台に上がった岩瀬は冒頭で「まさか、ここまでくるとは思わなかったんですけど…」と言って言葉を詰まらせた。メモリアル登板については「うれしいというより、ホッとしたというか、無事に終われて良かった」。これまで支えてくれたスタッフへの感謝を述べるとともに、1001試合目の登板にも意欲を見せた。 岩瀬は愛知・西尾東高から愛知大、NTT東海(当時)を経て1999年にドラフト2位で中日入り。最優秀中継ぎ投手を3度、最多セーブを5度獲得した。407セーブはプ
<中日0-4阪神>◇29日◇ナゴヤドーム 現役引退を表明した中日浅尾拓也投手と野本圭内野手が試合後に引退セレモニーが行われた。 【写真】代打で現役最後の打席に立ち一塁にヘッドスライディングする野本 野本は8回に代打で登場し、一ゴロでヘッドスライディングを見せた。「どんなときでも暖かいご声援を下さったファンの皆さま、感謝しています。今後はドラゴンズファンとして選手を応援していきたいです。10年間ありがとうございました」とあいさつした。 浅尾は9回に阪神中谷と対戦。5球目にあわや本塁打性の特大ファウルを打たれたが、最後はフォークで空振り三振を奪った。「つらかった時期が多かったですけど、野球を続けて良かったです。初登板も最終登板も阪神でした。今日対戦してくれた中谷君が全力で勝負してくれたことを本当に選手としてうれしかったです。ありがとうございましたとお伝え下さい。12年間でしたが、たくさん応援し
1994年にスーパーファミコン用ソフトとして第一作が発売されて以降、来年にはシリーズ25周年を迎える『実況パワフルプロ野球』(以下、『パワプロ』)。 最新作『パワプロ2018』では「VRモード」が実装されるなど、シリーズを重ねるごとに新たな要素が追加されているが、第1作目からずっと変わらないものがある。 それは、実名のプロ野球選手に“能力データ”が設定されていることだ。 自分がひいきにしている選手の能力が低いと「もっとすごい選手なのに……」とグチりたくなるし、能力が高く設定されていても「わかってないな〜」とひとこと言いたくなる「選手の能力データ」は、開発チーム独自の査定によって設定されているとのこと。 この“能力データ”は、プロ野球界でも、選手が冗談交じりに「自分の能力に納得がいかない」と不満を語るケースもあるようだ。 では実際、プロの視点から『パワプロ』の能力データを見た場合、どのように
平成元年のシーズン途中にひっそり来日した外国人選手が、日本球界に強烈なインパクトを残した。オレステス・デストラーデ(56)。90、91年に本塁打と打点の2冠を獲得。秋山幸二、清原和博と「AKD砲」を形成し、西武黄金期の中核を担った。カリブの怪人と呼ばれファンに愛され、華々しく時代の扉を開けた助っ人に去来するモノは。 ◇ ◇ ◇ 秋山、清原、デストラーデ。西武最強の「AKD」の中で、当時一番輝いていたのは清原和博だった。甲子園のスターからプロ野球の若きスターとなり、常にスポットライトを浴びた。「映画スターかポップアイドルのような、スーパースターだった」とデストラーデは振り返る。 5歳年下だったが、野球に関して学ぶものも多かった。「キヨは、2ストライクからでも良い打撃をする。その点は、アキや僕よりうまかった。どうやって逆方向に打てるかも、キヨから学んだ」。 一目置く存在だった清原が16
「福良さんと出会っていなかったらこんなに野球をやれていなかった」 今季限りでの現役引退を表明したプロ野球オリックスの小谷野栄一内野手(37)。27日に京セラドーム大阪で開かれた引退会見で、初めて言葉を詰まらせたのは、福良淳一監督(58)への思いを質問されたときだった。2人の間には「師弟」を越えた関係があったからだ。 日本ハム時代の2006年夏。突然の発作やめまい、そして吐き気が小谷野を襲った。「パニック障害」と診断された。打席にはおろか、グラウンドにも立てず、2軍の本拠がある千葉・鎌ケ谷の寮で静養する日々が続いた。当時25歳。そんなとき一番身近で見守ってくれたのが、当時、日本ハムの2軍を指導していた福良氏だった。この年の秋、若手主体のフェニックスリーグで小谷野を試合に出場させた。 「何分でもいいからやってみようかと言ってくれた。何回もタイムをかけてくれて。意欲というか、前を向かせてくれた。
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