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2011年4月20日のブックマーク (2件)

  • なぜみんな五月人形をバイクに乗せるのか? :: デイリーポータルZ

    バイクの五月人形のお店がでかい 高崎駅前に晃月人形のビルが立っていた。「バイクに乗った五月人形」と口に出すだけで口元が緩んでくるほどだが、店は大きな店だった。 そんなに儲かるのか、バイクの五月人形。どうなっているんだこれは? もちろんそこまで売れはしない 「発売したのはもう10年くらい前です」と語るのは晃月人形代表の渡辺忍さん。 10年前には五月人形はこんなことになっていたのだ。『バイク乗り大将』の店頭価格は25万円。キリが良すぎるのも悩ましい。 --あの、これ、売れるんですか? 「みんないいなとは思うでしょうけど、売れる数は少ないですよ。でもバイク好きの方は欲しいでしょうね。この前も新潟からわざわざ買いに来てくださった方がいました」 やはり売れない。しかしそれでいいらしい。元々量産できないので、たくさんも作れない。じゃあなぜやってるのかというと、差別化だという話。 いや、そもそも差別化す

    kash06
    kash06 2011/04/20
    いろいろとやってみた結果が、見事にいろいろな事になっていて、とてもすばらしいと思った。
  • 東日本大震災:先人は知っていた 「歴史街道」浸水せず - 毎日jp(毎日新聞)

    東日大震災に伴う津波で大きな被害を受けた仙台平野で、浸水域の先端が、江戸時代の街道と宿場町の手前に沿って止まっていることが、東北大の平川新教授(江戸時代史)の調査で確認された。仙台平野は400~500年おきに大津波に見舞われており、街道は過去の浸水域を避けて整備された可能性が高いという。平川教授は「先人は災害の歴史に極めて謙虚だった」と話し、今後の復旧計画にも教訓を生かすべきだと提言する。 国土地理院が作製した東日大震災の浸水図に、平野を縦断する奥州街道と浜街道を重ねたところ、道筋の大部分と宿場町が浸水域の先端部からわずかに外れていたことが分かった。宿場町の整備後に仙台平野を襲った慶長津波(1611年)では、伊達領で1783人が死亡したとの記録が残る。平川教授は「慶長津波を受けて宿場町を今の位置に移したとも推察できるが、今回の浸水域と比べると見事なほどに被害を免れる場所を選んでいる。津

    kash06
    kash06 2011/04/20
    興味深い。たまたま残ったという意見も然りだが、何が残り何が残らなかったという分かれ目を見るのが歴史で、残った物が社会でありシステムであれば良い。そして社会・自然の条件が変われば街の位置も変わると思う。