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2013年7月30日のブックマーク (8件)

  • ガンホーさん、ガンホーさんや

    ガンホーがパズドラをリリースしたとき、「所詮ガンホー、いくらゲームが良くてもどうせすぐに潰すんだろう」そう言った人はたくさんいたと思うというか、ネットゲーム、特にMMORPGをやったことがある人ならば9割以上がそう思っていただろう なんといっても、ガンホーはその筋で非常に悪名高い運営会社だったからだどれくらいかというと一時期、糞会社と検索すればグーグル一位にガンホーが出てくるくらいに、有名な会社だった ゲームとして非常に完成度が高く、数多くのプレイヤーがいたラグナロクオンラインをボロボロに叩き壊し、止めた人のみならず現役ですら「何がしたいのかわからない」と言われているのだ どうせパズドラも駄目だろうな、と私も周囲も見ていた なのに ガンホーは何故か、パズドラではかなりの良運営を行っているのだ 頻繁なアップデート、ほぼ常にやっているイベント、障害などへの補填もばっちりで、かつてのラグナロクの

    kash06
    kash06 2013/07/30
  • もう一度同じ舞台で…山本昌「2人でお立ち台に上がるチャンスまだある」 - スポニチ Sponichi Annex 野球

    もう一度同じ舞台で…山昌「2人でお立ち台に上がるチャンスまだある」

    もう一度同じ舞台で…山本昌「2人でお立ち台に上がるチャンスまだある」 - スポニチ Sponichi Annex 野球
  • 山崎 スッキリ「監督室にバットを投げたこともあった」 (スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース

    中日の山崎武司内野手(44)が29日、名古屋市内で会見し、今季限りでの現役引退を表明した。27日に出場選手登録を外れたことを引退の理由に挙げ「2軍に落ちれば決心しないといけないと思っていた。けじめとして進退を懸けながらやってきた」と語った。 【一問一答】オリックス時代に野球が大嫌いに…山崎、東北に「感謝、感謝」  2度の塁打王に輝き、通算403塁打。だが、古巣に10年ぶりに復帰した昨季は1、今季はここまで塁打はない。通算1833安打。「2000打てなかった。長嶋(巨人)さんの444塁打にこだわりを持ってやってきたけど、それにも届かず」と悔やんだが、「野手の中で誰よりも長くやれたことは誇り」と笑った。楽天時代の恩師、野村克也氏らと並ぶ野手史上最長の27年間のプロ生活だった。 負けん気は人一倍。前回の中日時代は山田監督、オリックス時代も伊原監督とぶつかり、トレードや戦力外通告を味

  • 接待のこと教えてください

    接待達人(※)のPさん(真ん中)は製薬会社のMRとして秋田で8年間お医者さんを接待してきた。 接待する相手は地方のお医者さんで、年齢層もさまざま。年下から70代80代も接待する。「先生」と呼ばれる人たちなので地位もプライドも高い。 一昔前はお医者さんの家の引越しまで手伝わされたりしたらしいが、Pさんは経験ないらしい。最近あったのは畑仕事で「いくら立てても倒れてしまう逆バージョンの奇跡の一松というのがあって、自分の車にくくりつけて立てました」……たぶん引越しよりもきつい。 この達人を同じくデイリーポータルZで書いている石川(右)と二人で接待して、その場で加点と減点をしてもらおうと思う。 スーツ姿のPさんを渋谷に呼び出して、迎えたのは普段着の大北と石川。もちろんいきなり減点だ。 ※勝手に呼んでるだけでほんとの達人かどうかは知らない

    kash06
    kash06 2013/07/30
    「「190円って値札ついてますよ」にうばいとって歯でかみきろうとする石川。これが接待か、なんて世界だ……」/「ルールを知ってるものが知らないものを笑い、知らないものが知ってるものを笑う。」
  • 日本酒の歴史 昭和60年代以降 - 板前日記

    昭和40年代後半になると日酒蔵では、「このまま三増酒だけではいけない」「売れればいいだけの桶売りでは日酒の将来はない」「自分が美味しいと思うお酒を造りたい」という若い世代が出現し始めます。酒屋さんにも全国で「自分の売っているお酒は当に美味しいのか?」「こんな不味い酒じゃなくどこかに美味しいお酒があるはずだ」と目覚める若い世代がポツポツと現れ始めます。 昭和50年代は蔵元も酒屋さんも、志のある方々が自分たち自身が美味しいと思うお酒を造り売ろうとする試みに七転八倒した時期です。しかしながら、一般消費者の認識は「大手酒造=安心・美味しい・ブランド」が根強く、少しでも日酒に興味がある方でもメディアで知った「幻の酒信奉」にこだわる方ばかりでした。 自らの足で探した美味い酒だけを店に置いても「なぁぁんだ、白○(大手ブランド)ないのぉ」とか「幻の○○は置いてない?」という客ばかり。「客はバカばっ

    日本酒の歴史 昭和60年代以降 - 板前日記
  • 日本酒の歴史〜戦中・戦争直後 - 板前日記

    三話目にしてやっと歴史らしきお話になります。 日酒の製法は第二次世界大戦と敗戦後の困窮でダメージを受けました。国家存亡の危機に「うまい純米酒を・・・」の気運が生まれるはずもないことは誰が考えてもわかります。その後の昭和30年-40年代も簡単にそこから立ち直れないことも容易に想像がつきます。国民全体が貧乏な時代、急成長を遂げるために一心不乱に働く時代、そんな時代に生まれたお酒、蔵の意志とは別に国家の統制と国の財源のために紆余曲折を強いられた日酒を、豊かな時代しか知らない世代が批判することは「時代の空気を読めない(知らない)」所業であると私は思うのです。 三増酒(さんぞうしゅ)という言葉を聞いたことがある方も多いと思います。詳しくは三倍増醸ブレンド酒といいますが、「戦争中につくられた三増酒がみんな悪いんだ」という論調はよく聞きます。 実はこれはちょっと違っていまして、戦争中に造られたのは「

    日本酒の歴史〜戦中・戦争直後 - 板前日記
  • 日本酒の歴史〜暮らしに根付いた - 板前日記

    昭和40年代くらいからの日酒の味は、私の記憶の中にあるのですが、それ以前の日酒がどんなものであったのかは見当がつきません。特に戦前の日酒。もちろん、製法や酒米、酵母についての記録は残っているものの、味わいをきめ細かく記述したものは見たことがありません。大きな戦争の前、日酒は米と米麹だけで造られる純米だけでした。純米信奉なんぞにこだわらなくても純米しかありませんでした。といっても、間違いなく言えることは、今巷で飲める純米酒のように繊細で美味しい酒ではなかったはずで、もっと荒っぽい雑なものであったようです。さらに、戦争以前の日酒は量り売り、原酒で仕入れた樽を加水するのは酒販店で、お酒の濃い薄いも酒屋任せであったとも聞きます。醸造でさえ認めない純米信奉者は時に、「戦前のように造れば美味しいお酒になるはず」と言うことがありますが、これは「昔のトマトは美味しかった」というのと同列の間違っ

    日本酒の歴史〜暮らしに根付いた - 板前日記
  • NHK NEWS WEB 松井秀喜さんNYに愛され引退

    大リーグのレイズを最後に、去年現役を引退した松井秀喜さんが、28日、7年間在籍したヤンキースと1日限定の契約を結び、ヤンキースの一員として引退セレモニーに臨みました。ヤンキースにとっては、異例ともいえる待遇です。松井さんがヤンキース、そしてニューヨークのファンに愛される理由はどこにあるのか? 取材に当たったアメリカ総局、原口秀一郎記者が解説します。 「生涯忘れられない」セレモニー 背番号「55」。引退セレモニーでは、伝統のピンストライプのユニフォームを身にまとった松井秀喜さんが、ヤンキースタジアムのマウンドに立ちました。このユニフォームに袖を通すのは、実に3年9か月ぶりで、試合開始前の始球式でキャッチャーをめがけて思い切りボールを投げ込みました。 この日のヤンキースタジアムは、シーズン中盤の試合には似つかわしくないほど、特別な雰囲気に包まれました。試合開始の2時間前、午前11時の開門時間