タグ

ブックマーク / freezing.blog62.fc2.com (3)

  • 坂のある非風景 仕事の発見

    「行きたい方角とは違う方にすこしずつカーブしてゆく」道、だけが道である。決然とした選択によって出来上がるのは夢物語だけだった。過去にそんな夢を与えたくなるときは、未来がなくなったときで、多くの老境が、過去を夢とする作業に目覚めはじめる。つまり「SF」、未来の夢物語の背後には過去の夢物語が、「自伝」がはりついている。 ずるずると不可避的な流れに流されながら、そこで私自身と出会うこと、それが仕事を作り出す。 江戸川、荒川、中川、新中川といった大きな河や用水路をはじめ、いくつもの小さな川が流れる、東京・千葉・埼玉にまたがるこの低地帯を、西の武蔵野に対する「葛飾野」としてとらえて、いつかその精神史が書けたら、というのが私の願いなのだが、そのための第一歩が、自分とはなんの縁もなかった東京の西の郊外の町、下北沢ではじめたフィールドワークだ。 この仲俣暁生だけではなく、城戸朱里にも歴史や民俗学的な考究に

  • 坂のある非風景 《言葉に望みを託す》

    Author: M ペンを折ることさえ、ここではもう「別の手段による詩の継続」を意味しているにすぎないという宿命に、それからも耐え続けた。 freezingm▽gmail.com ◇『詩的スクランブルへ』北川透 思潮社 詩論の現在3 わたしがこれまで詩と批評を書いてきた貧しい経験と、ささやかな論理の蓄積など、何の役にも立たないことは前提であった。その愚かさ、馬鹿さかげんこそを根拠として、疑問に思い、不審を抱いた詩的対象については、相手が誰であろうと、どんな権威的な知を背負い、ポスト・モダン風の虚仮威しの衣裳を身に纏っていようが、容赦なく、徹底して問い詰めること、また、可能性を開いている対象については、どんなに萌芽的なものであろうと、ためらわず肯定する態度をとる、ということである。(中略)そのために挑発的になることも、論理の上で対立者を作ることも、結果として孤立することも恐れない覚悟を決めた

  • 坂のある非風景 覚え書

    ことばはいつも宙吊りで、それは見たものを名づけようとしていてもそれに届いていない。いや届いていないことによって、見たもの以上を描いているといっても同じことだ。それが作品のあり方だと思っている。 ひとつは作品に対して、ことばが届いていないものを探るという読み方があって、それを反転すると、作者のなかで、あることばがどうやって結ばれているのかを探るといった読み方になる。そこが分かるようになると初めて語られたことではなく、作者の言いたいことが見えるようになる。ひとは言いたいことを言っているのではなく、自分のことば(表現力)で言えることだけを言っているのだが、その限界を通して、聞き手には言いたいことが届く。 もう一方には作者が書いた以上を読む方法があって、それは作者が語ったことばを思ってもみない場所に着地させてやる方法だ。作者の言いたいことが問題ではなく、作品が語ることに耳を澄ますといった態度になる

  • 1