「行きたい方角とは違う方にすこしずつカーブしてゆく」道、だけが道である。決然とした選択によって出来上がるのは夢物語だけだった。過去にそんな夢を与えたくなるときは、未来がなくなったときで、多くの老境が、過去を夢とする作業に目覚めはじめる。つまり「SF」、未来の夢物語の背後には過去の夢物語が、「自伝」がはりついている。 ずるずると不可避的な流れに流されながら、そこで私自身と出会うこと、それが仕事を作り出す。 江戸川、荒川、中川、新中川といった大きな河や用水路をはじめ、いくつもの小さな川が流れる、東京・千葉・埼玉にまたがるこの低地帯を、西の武蔵野に対する「葛飾野」としてとらえて、いつかその精神史が書けたら、というのが私の願いなのだが、そのための第一歩が、自分とはなんの縁もなかった東京の西の郊外の町、下北沢ではじめたフィールドワークだ。 この仲俣暁生だけではなく、城戸朱里にも歴史や民俗学的な考究に