任天堂前社長で、相談役の山内溥(やまうち・ひろし)氏が19日、肺炎のため死去した。享年85歳。謹んでご冥福をお祈りするとともに、その功績を振り返ってみたい。 日本のゲーム産業は山内溥氏の決断によって興ったと言っていい。 ファミリーコンピュータというと、任天堂が先駆者だったイメージがあるが、じつは後発組だった。1981年から1983年にかけて家庭用ゲーム機は発売ラッシュを迎えた(表1)。国内の玩具メーカー、技術系ベンチャー企業、アメリカの玩具メーカーが多数の機種が投入された。いずれ流行するだろう「テレビに接続するゲーム専用機」新市場の開拓を各社が目指していたのだ。 社名は当時上村雅之部長が率いる任天堂・開発第二部のメンバーが開発したファミリーコンピュータ。ハード性能とソフトを見て、山内溥氏は「これは売れる」と直感した。一気に普及させるために大量生産による一台あたりのコスト圧縮を決意。100万
http://anond.hatelabo.jp/20130919170745 承前 1986年、朝の連続テレビ小説『はね駒』の主役に斉藤由貴は抜擢されました。朝ドラではヒロインはオーディションで発掘されることが多く、実際、『はね駒』以降では再びオーディション選考に戻り、若村麻由美、山口智子、藤田朋子らが発掘されていますが、1985年の『澪つくし』と1986年の『はね駒』は既に有名であった沢口靖子と斉藤由貴が抜擢され、非常に好評でした。 1983年『おしん』以後、朝ドラ自体が好調だったのですが、その中でも『澪つくし』と『はね駒』は視聴率も良ければ評価も高い作品です。朝ドラが新人を起用することが多いのはスケジュール拘束が長時間、長期に及ぶからであって、1986年の時点で普通に考えれば斉藤由貴に朝ドラに主演するメリットはそれほどありません。 すでに名も売れていて、アイドルとしても若手女優として
http://anond.hatelabo.jp/20130919170741 承前 斉藤由貴がデビューシングル『卒業』を発表した1985年2月、同名のシングルが他に2作、チャートインしていました。菊池桃子の『卒業』と尾崎豊の『卒業』です。毛色の違う尾崎は別にして、ここでは斉藤と菊池、斉藤版『卒業』と菊池版『卒業』を比較してみましょう。 「80年代女性アイドル格付」では私は斉藤を8位、菊池を9位にしましたが、記録上の実績では菊池の方が上です。菊池はオリコン1位のシングルを6枚出していますが、斉藤は『青空のかけら』1作のみです。ただし、1985年から1989年まで、年間の順位で菊池が斉藤を上回ったのは1985年のみで、菊池は1988年と1989年には年間100位以内にチャートインしていませんが、斉藤はしています。斉藤の方が息が長いアイドルだったことがうかがえます。 1985年は菊池の全盛期で
承前 http://anond.hatelabo.jp/20130904155613 『あまちゃん』の配役が面白いなと思うのは、80年代の女性のある種の典型が描かれているからです。 天野春子はキャリアにおいて挫折した、しかし挫折したから結婚して子供を得た。 鈴鹿ひろみはキャリアをまっとうした。しかし子供は出来なかった。天野アキに、可能性的にはいたかも知れない自分の子供を投影するしかない。 薬師丸ひろ子には全共闘世代から流れてきたジェンダーフリー的な雰囲気があると指摘しました。それがジュヴナイル的なるものの正体だと。しかし人はいつまでもジュヴナイルにとどまってはいられません。キャリアをとるか、子供をとるか、それがその後の80年代女性に突き付けられた二者択一の選択です。天野春子と鈴鹿ひろみはこの意味においても裏表の関係になっています。 鈴鹿ひろみは薬師丸ひろ子自身をモデルにしている印象がありま
原発事故による風評被害への賠償制度を悪用し、飲食店などを経営していると偽ったうえ、売り上げが落ち込んだとうその書類を提出して、東京電力からおよそ900万円の賠償金をだまし取ったとして、警察は、19日にも45歳の男を詐欺の疑いで逮捕する方針です。 詐欺の疑いが持たれているのは、福島県会津美里町の45歳の男です。 警察によりますと、男は、会津若松市内のビルで飲食店などを経営していると偽ったうえ、原発事故の後に売り上げが落ち込んだといううその書類を作って東京電力に提出し、およそ900万円の賠償金をだまし取ったとして詐欺の疑いが持たれています。 原発事故の影響を巡っては、風評被害が相次ぎ、福島県内の飲食店や観光業界などを中心に売り上げが落ち込んだ経営者が相次いでいて、東京電力は、経営者などからの請求を受け付け、賠償金を支払う制度を設けています。 警察はことし6月、男の請求内容に不審な点があ
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承前 アイドル寄りの話をしましょう。 80年代半ばに究極の選択というお遊びが流行りました。「ウンコ味のカレーとカレー味のウンコ、どちらを食べるか」みたいなものです。そのひとつに、「南野陽子と一回やって死ぬのと、林真理子と毎日やって100歳まで生きるのとどちらがいい」という、いかにも男子中高生的な下世話で思いやりのないお題がありました。 ここで南野陽子はティーンズアイドルとして最大公約のセックスアイコンとして扱われています。これが他のアイドル四天王だとしっくりいきません。中山美穂だと妙に生々しいし、工藤静香では好き嫌いが多そうです。浅香唯はアピール層が南野よりはずっと狭い。 ここでは南野はセックスアイコンではありますが、何も実際にセックスをしよう、したいというわけではなく、男子同士が下世話に社交として名前を出すのにちょうどいい、ニュートラルな感じがあるからここで用いられているのです。 つまり
80年代女性アイドル格付 マスダ80年代女性アイドル論~松田聖子論 マスダ80年代女性アイドル論~中森明菜論 マスダ80年代女性アイドル論~小泉今日子論 マスダ80年代女性アイドル論~インターバル マスダ80年代女性アイドル論~薬師丸ひろ子論 南野陽子と言えば、『はいからさんが通る』です。『はいからさんが通る』は少女漫画の代表的作品を挙げる時には必ず名前が挙がる作品ですが、70年代中頃の作品です。 薬師丸ひろ子論の中で、70年代にはマルキシズムの影響で、「女性も男性のようにリーダーシップを執らなければならない」という思想が、少なくとも先進的な意識を持つ若い女性や学校にはあった時代だったと言いました。その「あるがままの私」が80年代において現実との軋轢の中で鍛え上げられていきました。70年代の「あるがままの私」が実は女性に無理を強いているのではないか、それは本当に「あるがままの私」ではないの
80年代女性アイドル格付 マスダ80年代女性アイドル論~松田聖子論 マスダ80年代女性アイドル論~中森明菜論 マスダ80年代女性アイドル論~小泉今日子論 マスダ80年代女性アイドル論~インターバル マスダ80年代女性アイドル論~薬師丸ひろ子論 マスダ80年代女性アイドル論~南野陽子論 マスダ女性アイドル論シリーズですが、今回で一応の区切りとなりますが、あともう一回、総論とお知らせを書く予定です。 人生山あり谷ありと申しますが、浮き沈みの激しい芸能界、これまで取り上げたトップアイドル5人ですが、プレミアム感を維持しながら、それぞれに生き残っているのはさすがです。80年代に小話のネタで「ミナミノヨウコとミナミダヨウコ、一字違いで大違い」というのがありました。南田洋子さんは若い時は大変な美人女優で、当時も上品な美しい人ですから、この言い方はずいぶん失礼だったのですが、まあ若い人からすればおばさん
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