思うところがあり、このエントリから、はてなブックマークでのコメント欄を非表示にしました(本当は前のエントリからするはずだったのですが、失敗してしまいました)。今後このブログに付けられたはてなブックマークでは、コメント欄が表示されない……はずです。 うまく機能しているといいのだけど。自分でブクマつけて試してみるか。
うちの娘の汐音は、最近「まったり」という言葉をどこかで覚えてきました。 「今日、休みだけど、しおちゃんどうする?」「家でまったりする」などという会話が交わされています。「まったりってどういう意味?」と尋ねると「休むこと」という答えが返ってきました*1。「どこでまったりという言葉を覚えたの?」と尋ねると、「魔法使いが教えてくれた」とのことです。彼女のいう「魔法使い」は、うちの近くの公園の雑木林内に住んでいるらしいのですが、そいつは宮台信者なのでしょうか。意外なところに宮台読者がいたものです。 とにもかくにも、娘は3歳半にして、すでにまったりを覚えたようです。 *1:親としてはこの会話はこれはこれで衝撃で、つまりうちの娘は、いつのまにか「意味」という言葉の意味を理解していたわけです。
とかいうタイトルの講義を朝日カルチャーセンターでやってきました。東浩紀がどういう風に批評を書いているのか、を、(1)批評全体の考え方、(2)批評を書き出すときの心構えそのほか、(3)具体的な文章の書き方、の3段階にわたって情報開示した感じの講義です。Google Docsでバージョンごとに分解して解説したりしました。ああいう内容というのは、まあ一種の自慰行為でもあって(クリエイターがトークショーで「おれはこういうふうに作品作ってるから」と言っているときの快感がはじめてわかりましたw)、とても公で本にするようなものでもないと思いますけれど、いつか機会があったら自費出版ででも出版するかもしれません。 ところで、そこで言ったことですけど、ぼくは基本的に、あるタイプの文芸評論はだれにでも簡単に書ける、と思っています。だからこそ、そんな講義も引き受けたわけです。 その理由は、柄谷行人以降に書かれてい
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