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2011年01月19日13:19 カテゴリ本経済 資本主義の不安 きのうのアゴラ連続セミナーでは『資本論』を読んだ。この準備のために、10年ぶりぐらいに訳本を読んだが、あらためてすごい本だと思った。といっても、昨今のマルクス本のように「プレカリアートの味方」だとか「人間疎外を告発した」とかいう話ではない。マルクスは、そういう凡庸な平等主義を否定していた。 一般には、マルクスの価値論はリカードの焼き直しだと思われているが、廣松渉も指摘するように、彼は価値実体論を疑い、あと一歩で労働価値説を否定するところまで行っている。たとえば等価形態を説明する部分には、有名な次のような叙述がある:この人が王であるのは、ただ他の人々が彼に対して臣下としてふるまうからでしかない。ところが彼らは反対に、彼が王だから自分たちは臣下だと思うのである。これは「価値は距離のようなもので、一物の価値というのはありえない」と
私は無駄な議論が嫌いなので、「市場経済はよろしくない」という人と話す機会はありません。 だから、「その批判は変ですよ」と説明する機会もないのですが、でも、そういう時に使えるお手本のような文章が、先日紹介した野口悠紀雄氏の著作にあったのでメモ的に残しておきます。(青太字にしたのはちきりんです。) 市場原理主義批判は虚構に対する攻撃 市場経済が望ましいとする立場は「何をやってもよい」という意味での自由放任を認めているわけではない。 市場メカニズムとは、「一定の明示的なルールの下で各経済主体が自主的に判断する」という仕組みだ。 ルールがしっかりしていないと機能し得ないのである。 サッチャーは「新自由主義」を様々な言葉で表現しているが、「市場を代替するものはない」(There is no alternative to market. 略してTINAと言われる)という表現が、最もわかりやすいだろう。
※11/22ブクマへのコメントを最後に追記 だいたいネットなんて使えない環境下のほうが人間の生産性はあがるものだ。ようするに飛行機の中で暇ということだ。 ネット時代にコンテンツの価格はゼロになるとかなるべきとかほざいている馬鹿は、いまだに世の中に多い。一般的にコンテンツの価格と制作費がどのように決まるものなのかについては以前のエントリでも書いた。前回のエントリの要点をまとめると、コンテンツの標準的な価格はプラットホームホルダーが任意に決めるものであるということと、コンテンツの制作費はそのプラットホームで回収できる売り上げによって決定されるということだ。しかし、ではプラットホームホルダーはどのようにコンテンツの価格を決定するか(できるか)については説明しなかった。 コンテンツの価格が他のものにくらべて市場原理で論じるのが難しいのは、すべてのコンテンツがそれぞれに独占商品であるという性質をもっ
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