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ブックマーク / hasriq.hatenablog.com (65)

  • 生きることの辛さ いろんな不満 - 感じたこと、思ったことノート

    来は生きることに意味なんてないのは分かる。 でも生きるだけでこんなに辛くて苦しいから意味が必要になってしまう。 それは作られた世の中ではいろんな意味が作られ、いろんなものに込められているからだろう。 それらの意味から自分を保つ為に自分なりの意味が必要になる。そんなものが必要なければ一番良いのに。 人として生まれ、生まれた時から様々な社会に組み込まれ、その中の意味や条件、ルールに縛られる。それらは当に必要なのだろうか?ないと当に社会が成り立たなくなるのだろうか。 意味や条件やルールは態度によっては暴力になり排斥を生む。勝手に組み込んだ人を勝手に排斥することが起きる。 この前死刑制度について考えていたことと同じで、社会はそれを黙認する。色々な社会問題がそうだと僕は感じる。 神経症や精神病の多くは置かれた環境が合わない等のストレスによって起きる。 ストレスはそれに起因する症状は警告信号であ

    生きることの辛さ いろんな不満 - 感じたこと、思ったことノート
    katukokatu
    katukokatu 2019/08/19
    私は子供が生まれてから考えなくなりました。子供に救われました。
  • 良い所、長所の時間 優しい僕 温厚な僕 - 感じたこと、思ったことノート

    小中学生の頃、自分の良い所を挙げるという時間が度々あった。それがとても苦手だった。 良い所って自分で言うものなのだろうか。言われれば言われるほど分からなくなる。 クラスのみんながその子の良い所を挙げて、それを3つずつだか似顔絵と共に貼り付けられるというのもあった。 それも意味がわからなかった。 子供の頃は違和感を感じては悩んだ。こんなことで悩む自分がおかしいと思った。 でも今考えればそんなレッテル貼りを許容できないのは当たり前。頭にくる。 僕がつけられるイメージはいつも『優しい』『温厚』だった。皆にそのイメージで話しかけられるのが気持ち悪かった。 個人がそう言ってくれるのはいい。その人がそう感じてくれるのだから。それはその人の感じたことだから否定的なことでも許容できる。 でも集団の中で僕が『優しい』と定義されたら、そうでなくてはならなくなる。気にしなければいいと言われても、そういう風に見ら

    良い所、長所の時間 優しい僕 温厚な僕 - 感じたこと、思ったことノート
    katukokatu
    katukokatu 2019/08/17
    優しい、温厚、こういわれるとプレッシャーですね。私は海が好きです。この写真、とても素敵ですね。
  • 死刑 - 感じたこと、思ったことノート

    死刑に関しては国によって考え方が違う。それはいいと思う。それはその社会の選んだことだから。 日が社会として死刑制度を続けるのもまた、社会がそう選んだのならいいと思う。 僕は制度の在り方が現状のままなら反対側なのかな。 刑務官が3人で同時にスイッチを押すというのはおかしいと思う。 誰の為の死刑なのだろう。 社会との契約という理由付けがある 社会があり、司法制度があり、刑法があり、それを社会が選んだ以上それはいいと思う。 でも社会として死刑を続ける選択をするのなら、社会の参加者が執行するか、そうでなければ社会全体が刑の執行を見届けるべきだと思う。 刑の執行、死と向き合わないでなぜ死刑を続けられるのだろう。 業は刑務官と機械に分からないように背負わせるというのは、虫が良すぎると思う。 どこかの国のように見せしめのためばかりに公開処刑をやれと言うわけではないけれど、そのくらいのオープンさがないと

    死刑 - 感じたこと、思ったことノート
    katukokatu
    katukokatu 2019/08/14
    とても難しいですね。
  • 『受容』から 僕にとっての自己の受容の難しさ - 感じたこと、思ったことノート

    "Surfing Your Inner Sea : Essential Lessons for Lasting Serenity"というの中で、著者のRaphael Cushnirは"The foundation of serenity is acceptance." と言っている。 心の平穏、平静において重要なのは第一に『受容すること』だそうだ。 「過去の傷も、うまくいかない仕事も、社会的・環境的な不正も、恒久的な変化のためには先ずは現状を受け容れることが大切だ」と彼は説いている。 目の前にある現状こそが紛れもない事実で、その存在、在り方を自然の摂理だと受け容れることを基礎に、その結果の連続である自分の存在自体を常に受容する。という事なのだと思う。 それを基礎に知覚や感情、思考を内観することによって自分自身を感情の波に左右されない位置に持っていくことで平静を保つというメソッドのようだ。

    『受容』から 僕にとっての自己の受容の難しさ - 感じたこと、思ったことノート
  • 星空の道標 - 感じたこと、思ったことノート

    ここは空気が綺麗で周囲に灯りが全くないので月が出ていなければとても綺麗な星空が見えます。 どのくらい綺麗かというと視力0.1以下の僕が裸眼で天の川を見えるくらい。 昨夜は刺し網をチェックしに行く途中、ボートから満天の星空を眺めた。沢山の蛍が一の木を恋の光で満たすのを通り過ぎ、両岸の木が開けた時夜空全体が光る星で満たされた。 数えきれない様々な星たちはそれぞれが違った光を放つ。青い星、白い星、赤い星、その瞬間瞬間に色々な光を放つ星たち。 木々や川をまたぎ、頭上を通る輪っかのような天の川。 以前ある人が「吸い込まれるような星空を見ていると怖くなる」と言っていた。自分の存在の小ささが怖く感じるらしい。 同じものを見た時の感じ方も人によって違う。 僕が星空を眺める時は子供に戻る感じだ。壮大なワンダーを前に眼が開き、安らかな笑みに口が半開きになる。 星空を眺めていて感じるのは「綺麗だなぁ」というこ

    星空の道標 - 感じたこと、思ったことノート
    katukokatu
    katukokatu 2019/07/29
    読んでいて星を見たくなりました。
  • 効率 行動速度 文明と加速 - 感じたこと、思ったことノート

    明日の村入りに備えて今日は400km強運転しました。山道が多く結構大変。 車を運転していていつも感じるのは、何でこんなに急いでいるのかということ。 70〜100kmの速度で同じ方向に向かって進む車たち。僕もその中の1台だった。 車は流れるように進むけど、ヒトのコントロールの域を超えている。とても不自然な流れ。それは事故という形で眼に映る。 イヌ、ネコ、ネズミ、オオトカゲ、鳥。動物を何十匹も轢き殺しながら車は道路を走り、車自身も搭乗者もろとも事故で死ぬ。 でも何の為にそんなに急いでいるのだろう? 動物に乗るようになり、車輪を使うようになり、様々な機関を組み合わせるようになり、空も飛ぶようになった。 肉体で出来ないことが可能になるのは夢でもあり、希望でもある。技術の進歩と共にヒトは行動範囲を増すだけでなく、行動時間も短縮している。 人は時間に囚われる。 時間を認識すると共に未来が予測できるから

    効率 行動速度 文明と加速 - 感じたこと、思ったことノート
    katukokatu
    katukokatu 2019/07/23
    400km の長距離運転、お疲れ様でした。
  • 線と結び目 - 感じたこと、思ったことノート

    人や動物の人生を線で想像していた。 同じ時間軸の方向にそれぞれ動きながら進む沢山の線。 出会いは線と線の交差になる。 色んな交差があるが、交差したように見えても僕のような人間の場合、多くは接触には至らない。微妙に距離が開いたままとなる。そしてまたそれぞれ別の行き先に向かうことになる。 線と線の距離は、実際の人と人の距離とは違う。実際には離れていても、やり取りの中で結び目が出来ることもある。 時に会話は線と線のダンスとなる。それは互いに心を開いて初めて起きる現象なのだろう。その時線と線は初めて接触し、そのダンスは結び目となる。互いに惹かれ合いながら、恒星の周りを螺旋を描きながら銀河をまわる惑星たちのように、躍動的な心の呼応。 結び目は互いの過去を繋ぎ、未来を繋ぐ。その結びつきが時に呪縛となるのは、それだけ心の交差は意味があるものだからだろう。 どんなに強い絆も結びつきでしかない。それぞれが進

    線と結び目 - 感じたこと、思ったことノート
    katukokatu
    katukokatu 2019/07/21
    この記事、好きです。
  • 『へんないきもの』『ざんねんないきもの』図鑑 - 感じたこと、思ったことノート

    子供向けののコーナーでは『へんないきもの』『ざんねんないきもの』等の図鑑があった。 小学生の頃図鑑好きだった僕はこういうは無意識に避けていた。生き物について純粋に知りたいのに、こういったは作った側の主観が強く、面白おかしく紹介しようとするものが多かった。それを子供ながらに押しつけがましいと感じた。 そういうのが楽しいと感じる子もいるだろうし、だから最近もそういうが増えているのだろう。それは単に捉え方の違いというか、感覚の違いという事だと思う。 僕はただ、淡々とした一般的な図鑑が好きだった。 一つどうしても引っかかるのは、自分とは違う他種について、『へん』とか『ざんねん』という言葉を使って表現するのはどうなのだろう。『ユニーク』『個性的』だと言葉が難しすぎるからそうなるのだろうか。で それにしても『へん』『ざんねん』は否定的だし、人間の中でも一部の人から見た主観の度合いが高い。主観の

    『へんないきもの』『ざんねんないきもの』図鑑 - 感じたこと、思ったことノート
  • 幼児向け番組 ペッパピグ ペネロペ - 感じたこと、思ったことノート

    今日もまた何を書こうにも暗いことしか浮かんでこないので、 無理やり楽しいことを書いてみよう。 こんなことを30代が書くと危ないと思われるかもしれないが、こういう気分の時は幼児向け番組を観るのがいい。難しいことは抜きに、明るい気分になれる。 小さい頃にはそれが続くと錯覚していた優しく楽しい夢の世界。もしも画面の中に入ることが出来たらもう出てくることはないだろう。 中でもお勧めは『ペッパピグ』と『うっかりペネロペ』。 ペッパピグはイギリスの会社が作った世界中で愛されているアニメ。Youtubeで『Peppa Pig』で検索すると英語版がたくさん観れます。日語版も少ないけれど上がってたと思う。 ペッパピグは元気になりたいときに観るといい。暖かい家族、楽しい幼稚園、家族でのお出かけ、お友達と過ごす時間。明るくテンポが良く、気持ちよく観ることが出来ます。 やんちゃで優しいお姉ちゃん、ペッパの日常は

    幼児向け番組 ペッパピグ ペネロペ - 感じたこと、思ったことノート
    katukokatu
    katukokatu 2019/07/16
    幼児向けの番組は気持ちを純粋にさせてくれますね。流れてくる曲も素敵です。悪がないから好きです。
  • 深淵の底 戻ってこない人達 生き残り - 感じたこと、思ったことノート

    生きていることはどう捉えるべきなのだろうか。 沈んでは浮き、その繰り返しで今日も生きている。 当に酷い時は、暗い深海にフェードアウトするような感覚だった。 深淵は何度か覗いたが、それでも完全に引き込まれることはなかった。 深淵の底まで沈んだときには何を見るのだろう。 自分が生き残っている中、同じ世界を見ながらもう戻ってこない人達がいる。 僕の恩人の一人もそうだった。あの人は何を見たのだろうか。 僕にできるのは安息を願う事しかない。 そのことを思い出すと、あまり楽しんではいけないような気がしてきてしまう。 日では電車が止まる度に同じ気持ちになった。 同じものを見た、同じものを感じたんだなという一方的な共感からだろうか。 彼らを脱落したと捉えたくはない。でも戻ってこない。どう捉えればよいのだろう。 僕が生き残っている中、戻ってこなくなる人達が沢山いる。 戻ってこなくなる人達が沢山いる中、僕

    深淵の底 戻ってこない人達 生き残り - 感じたこと、思ったことノート
  • 先送り主義 迫ってくる時間 - 感じたこと、思ったことノート

    軽いギックリ腰をやってしまい、携帯から書いています。 痛い…けど痛いから明日決めていた外出の予定をやめちゃおっかな♪とすぐに予定キャンセルに結びつけてウキウキできる程度には元気です。自分で勝手に決めた買い物の予定なのに。 僕はあまりワクワクを感じないと思っていたけど、よく考えたらそうでもなかった。 昔から予定キャンセルはウキウキ、ワクワクでした。お家で『何もしない』をすることが大好き。『何もしない』は当に何もしないわけではなく、ダラダラしたり、動画を観たり、を読んだり、何をしてもいいのです。何にも縛られず自由な時間であることが重要であって、場所は家の中でも森の中でも海岸でも、人との接触が少なければそれで良い。 この時こそ生きていることを実感する。 でも問題は月曜日がすぐそこという事だ。楽しみの先に嫌なことがあると思考も引っ張られてしまう。1週間休みがあっても8日後を憂に過ごす人間だか

    先送り主義 迫ってくる時間 - 感じたこと、思ったことノート
    katukokatu
    katukokatu 2019/07/14
    予定で何もしない・・私も大好きです。残念ながら私は子供の予定がいつも入り、こういう日がほとんどないのですが、究極の贅沢だと思います。
  • 動物の想い - 感じたこと、思ったことノート

    人の勝手な見方を動物等の行動に当て嵌めた記事や動画やテレビ番組が凄く嫌いです。 例えばこれ。 このオランウータンがブルドーザーに向かっていったのは事実だけど、行き場がなくてブルドーザーに向かっていった可能性が高いだろう。左右に抜けられる幹があればそちらに抜けている可能性が高い。それを「森を守ろうとして」は全くあり得ないとは言わないけれど、やはり勝手に解釈し過ぎだと思う。 その方がウケるのはわかるし、それで世の中が回っているのも分かる。でもこれをそのまま受け止めるというのは、この行動に至る当事者(オランウータン)の感じたもの、経験を蔑ろにするだけではなく、それを自分の言いたいことを伝える為に曲解し、プロパガンダの為のパペットとして利用しているだけだろう。傲慢と呼ばずして何なのだろう。 この手法が当に嫌い。 NGOもよくやるし、テレビ番組でも見かけるし、Youtubeの動画なんかでもよくある

    動物の想い - 感じたこと、思ったことノート
    katukokatu
    katukokatu 2019/07/12
    そうですね。動物の考えなんて、人間がわかるわけがないですね。
  • 水の旅 - 感じたこと、思ったことノート

    水の多くは移動し続ける。さっき飲んだ水もそうだろう。 気体となり気流に乗り、雨として山に降り、地中を通って再び地上に出て、貯水池を通り、浄水場を通り、パイプを通り抜けて出てきて、煮沸され、残ったものが冷蔵庫で冷やされて、コップに入れられ、胃に入った。 それらはどこからかくっついたり離れたりしながら一群となってコップにまで来た。ずっと一緒の分子もあるだろうし、出会ったばかりのもあっただろう。 ドラマチックな旅を経て胃に入った。 多くは尿となってとなって数時間後には排出され、パイプを通り下水となって海へ出て旅を続ける。同じく汗や他の形で排出されるものもあるだろうし、暫く僕の中を循環するものもあるだろう。僕も60パーセントは水だから。それでもやがて元の旅に戻る。 途中で蒸発してしまったものや、コップに残ってしまったものも旅に戻っている。 僕は単なる経路に過ぎない。僕の身体から『排出』されると書い

    水の旅 - 感じたこと、思ったことノート
    katukokatu
    katukokatu 2019/07/10
    本当にドラマチックですね。素敵な考えかたです。私もそういう見方ができるようになりたいです。
  • 認識の外側の存在 - 感じたこと、思ったことノート

    微生物から僕らはどのように見えているのだろうか。影ですら見えているのかわからない。 細菌やウイルスから僕らはどのように認識されているのだろうか。ただの環境としか認識されていないかもしれない。 時間の尺度も違うだろう。それもまた邪魔をする。 顕微鏡によってこちらから向こうへは視覚的にアクセスできるが、仮に僕らよりも大きな存在がいる場合、どうやったら捉えられるのだろうか。望遠鏡は遠くのものを捉えるのに用いることは出来るが、細菌レベルのものが望遠鏡を使っても、僕らを捉えることは難しい気がする。 でもどこかにブレイクスルーはある気がする。別次元にアクセスするような、そんなイメージ。次元と書くとヤプール人的なものがイメージされてしまうけど、どうなんだろう。 気付かないだけで、案外手が届くところにあるのではないだろうか。 五感に頼るから認識できないのか、時間の尺度が違うから認識できないのか、そもそも存

    認識の外側の存在 - 感じたこと、思ったことノート
    katukokatu
    katukokatu 2019/07/09
    そう思うと下手なことできないですね。
  • 疲れ - 感じたこと、思ったことノート

    精神的にも肉体的にも忙しさから解放された土曜日。昨日の夜は12時間ちょっと、昼寝も合わせると15時間寝てしまった。 ソーシャルな環境に疲れ易い上回復に時間がかかる人間なので、仮に週休2日の生活をしていれば翌日仕事の憂な日曜日しか自由に使うことが出来ない。世の中アンフェアだなと思う。 今もまだ疲れからぼーっと眠い。何をするわけでもなく過ごしている時に感じる甘い感覚。身体が「このままでいいんだよ」と伝えているような安堵感。活動的になりたいときはそう感じるもので、こう感じるという事は身体はまだ疲れているか、それともなければ活動的すぎた期間の反動として休ませようとしているのだろうか。 『活動的』と書くとやはり変な感じだ。この語には人と関わることも含まれている気がする。ひとりで活発に活動している時はここまで疲れない。浮かんできた『活動的』という言葉のように、人との関わりを多く含んで活動した後に感じ

    疲れ - 感じたこと、思ったことノート
    katukokatu
    katukokatu 2019/07/07
    私も休みたいです。でも、コメントすること自体が駄目なんですよね。
  • 評価 基準 自己顕示欲の人 - 感じたこと、思ったことノート

    他人をジャッジして批判する人と居ると凄く疲れる。 こういう人は常に他人を比べて評価している。自分と他人、他人と他人。でも基準がその人固有のもので、僕はそうとも思えないので凄く疲れる。 評価は良くないと言いながらやっていることが同じ。客観的に判断していると言いながら自分の勝手な基準に当て嵌め他人を勝手に評価している。 他人を褒める時も比べている。その人の勝手な基準で褒めているので、なんだかついていけない。それはその人は褒めているつもりでもその人の基準で勝手に評価してるだけじゃないかと思う。もうちょっと素直に褒めればいいのに。 その会話の中では僕は置いてけぼりになっている。結局その人は自分の見ている世界を押し付けたいだけに感じてしまう。 比べている時はその人人を見ていない。一部に焦点を絞っていて、全体を見ていない。それはその人を現しているのではなく、結局彼の中で自分を反映した一部を見ているに

    評価 基準 自己顕示欲の人 - 感じたこと、思ったことノート
    katukokatu
    katukokatu 2019/07/03
    こちらが疲れますね。。そういう疲れって引きずりますね。
  • 文明圏外 青い珊瑚礁 脳内迷子 - 感じたこと、思ったことノート

    文明に反感があるわけではないのだけど、文明圏外への憧れが昔から強かった。 色んな部族としての生活を妄想したり、文明崩壊後の世界を妄想したり、部族という枠すらもない世界を妄想したり、色々な動物的なホモ・サピエンスではない架空のヒト種を妄想したり。その中で生活する自分を想像していた。 今はそれなりに部族生活に近い人々の村で生活しているけど、文明化はしているし、ちょっと違う。 高校生の時に『青い珊瑚礁(ブルック・シールズが出てるリメイクの方)』を観た時は衝撃だった。高校生な上に発育の遅かった僕にとっては刺激が強すぎる内容だったけど、その現実的でありながら幻想的な世界観に憧れたのだった。いけないものを観るように、皆が寝静まった後に自室に籠って観ていた。内容と行動併せてもう味わうことのない二重の背徳感。でも憧れは純粋だった。と思う… 今思い返すとやはり出来過ぎで、大人の解釈が強いところも感じるけど、

    文明圏外 青い珊瑚礁 脳内迷子 - 感じたこと、思ったことノート
    katukokatu
    katukokatu 2019/06/27
    青い珊瑚礁、時間があるとき見てみたいです。
  • 僕と嘘 関係の認識 - 感じたこと、思ったことノート

    自分の感情の整理です。まとまっていない上に羅列しただけなので、読む価値はありません。もの好きな方だけどうぞ。 世の中は嘘で溢れている。 良い嘘と悪い嘘があるというけれど、嘘は嘘だと思う。 良い嘘、許容範囲の嘘、なんて世間の勝手に決めた基準を適応するのは、そこに後ろめたさがあるから通念に逃げてるだけだと思う。正当化の為に通念を利用し投げ捨てている。それは僕の基準では真摯な態度ではない。 嘘をつくのなら、それが嘘という認識があるのなら、その嘘は背負うべきだと思う。その嘘による影響、痛み、悲しみ、それを背負う覚悟がない人の嘘は嫌い。 僕の中で許せる嘘は、無意識の嘘。それはこちらが嘘と認識していても相手は嘘と認識していないのだから、仕方がないことだ。責めることは出来ない。でも嘘と認識している嘘は嫌い。 子供に対する嘘もできるだけ避けたいが、それはまだ背負うことが出来る。嘘の認識もその都度必要性など

    僕と嘘 関係の認識 - 感じたこと、思ったことノート
    katukokatu
    katukokatu 2019/06/26
    仙人、いいですね。
  • 金銭と自分の関係 関係の再定義 認識の整理 - 感じたこと、思ったことノート

    「皆を幸せにしたかったらリーダーになるな、アイスクリームを売れ」と言った人が居るらしい。 でもそれはアイスクリームを買えない人を無視しているのではないか。皆を幸せにする、喜ばせることが目的でアイスクリームを売るなら、買えない人には僕が奢らなきゃいけない。それで気づけば何故か自分だけが損をしていて、結局何をしているのかわからなくなってしまう。いつものパターン。 僕は何事もプロフェッショナルになるには弱すぎるのだろう。 それで僕以外のみんなが幸せになるなら耐える意味もあるかもしれないけど、なるわけがない。 だから僕は皆を幸せにしたいけどアイスクリームは売りたくない。 思考が捻くれてるのは教訓に学んだせい。でも結局いつも同じ轍を踏む。何故だろう。 まぁでもこの人が言いたいのは、その覚悟がないなら「リーダーになるな」って部分なんだというのは分かる。だから僕はリーダーにもならないし、なる度量がない。

    金銭と自分の関係 関係の再定義 認識の整理 - 感じたこと、思ったことノート
    katukokatu
    katukokatu 2019/06/24
    私はアイスクリームを売りたくありません。配りたいです。お金ないけど。
  • 合気道道場 辛いこととその理由 マインドワンダリング - 感じたこと、思ったことノート

    去年から街に居る時は合気道道場に通っています。 身体を動かすのは良いことだし、人と会うのが億劫な僕にとってはこういう場を維持することは必要だと思っているのです。 日人が海外で複数の人種に混じって合気道を学ぶとは、中々平和的でよろしいとも思う。でもやっぱり面倒くさくなってさぼりがちなのだけど。 楽しいことはやはり、しっかりできた時は嬉しいし、身体を動かすのも楽しい。それくらいかな。あとは上述の義務感で維持してる感じが強い。 それに比べて辛い理由は複数ある。 先ずボディコンタクトに慣れない。中学校時代にやってた剣道はまだ接触が少ないので良かったのだけど、合気道は掴んだり掴まれたり絡んだり絡まれたり。中々辛い。 会話も辛い。中途半端に知り合いになっても会話が続かない。大体キャッチして止めてしまうからキャッチボールにならない。 そして一番致命的なのが、型を覚えられない。同じように身体を動かしても

    合気道道場 辛いこととその理由 マインドワンダリング - 感じたこと、思ったことノート