タグ

ブックマーク / president.jp (3)

  • IQ200~135の優秀な生徒1528人を35年間追跡調査した結果…「知能指数」と「人生の成功」についての意外な結論 平凡なIQの人が不利だとは限らない

    人生で成功するにはどんな能力が必要なのか。サイエンスライターの鈴木祐さんは「スタンフォード大学はIQが高い1528人の生徒を35年間にわたって追跡調査したことがある。その結果、知能と成功は相関関係にはない、という結論が得られている」という――。(第1回/全2回) ※稿は、鈴木祐『天才性が見つかる 才能の地図』(きずな出版)の一部を再編集したものです。 「成功に欠かせない能力」は当に必要なのか 【師匠】「自信さえあれば人生はうまくいく」とか「成功にはポジティブ思考が欠かせない」といったフレーズを、自己啓発やビジネス書などで一度は目にしたことがあるだろう。 【弟子】そうですねぇ。そのせいで、「僕は自信がないからだめなんだ」とか「もっとポジティブにならないと」とか考えて、落ち込んじゃうことがあります。 【師匠】具体例をあげていこう。世の中で「成功に欠かせない能力」としてよく言われるのは、

    IQ200~135の優秀な生徒1528人を35年間追跡調査した結果…「知能指数」と「人生の成功」についての意外な結論 平凡なIQの人が不利だとは限らない
    kawakami-mas626
    kawakami-mas626 2024/02/15
    子どもの頃に知能検査を行ってIQを調べるけれど、人間が概念的な思考能力を獲得するのは16歳くらいでは?成人してからの創造性やリーダーシップも子どもの頃の知能検査の結果とは関係ないのだろう。
  • NHK大河ドラマはあまりにも史実を無視している…家康の正室・築山殿が武田家と内通していた本当の理由 築山殿を「悲劇のヒロイン」とするのはおかしい

    徳川家康の正、築山殿はどんな人物だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「徳川家の将来を案じた彼女は、息子の信康とともに生き延びる道を模索するため、夫を裏切って武田と内通した。大河ドラマで描かれるような悲劇のヒロインではない」という――。 家康と築山殿を不仲に描かない大河ドラマ 徳川家康と正室の築山殿が不仲だったというのは、研究者によって強弱こそあるが、ほぼ共通認識である。元亀元年(1570)、家康が岡崎城(愛知県岡崎市)から浜松城(静岡県浜松市)に拠点を移した際、岡崎にとどまって以来、築山殿は死ぬまで家康と別居生活を送った。そのことからも、不仲だったことは疑う余地がないといわれている。 ところが、NHK大河ドラマ『どうする家康』を見ているかぎり、この夫婦が不仲だとは微塵も感じられない。家康は築山殿(ドラマでは瀬名)を慕いつづけ、ほんとうは一緒に暮らしたいのだが、岡崎にいる長男の信康の面倒

    NHK大河ドラマはあまりにも史実を無視している…家康の正室・築山殿が武田家と内通していた本当の理由 築山殿を「悲劇のヒロイン」とするのはおかしい
    kawakami-mas626
    kawakami-mas626 2023/07/11
    築山殿が武田氏と対峙していた徳川家の行く末を案じて、密かに信康を武田氏に従属させ生き延びさせる算段をしたという解釈。
  • NHK大河ドラマを信じてはいけない…徳川家康が長男・信康に対して抱いていた本当の思い 信康の死にショックを受けて寝込んだとは考えられない

    徳川家康の嫡男・松平信康とはどんな人物だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「家康の外交方針に背き、母親の築山殿と共謀して武田家と内通していた。自害したのは家康の意向で、大河ドラマで描かれるような信長からの圧力が原因ではない」という――。 なぜ家康はみずから子の死を処断したのか 松平信康事件。それは徳川家康の生涯でも最大の痛恨事だったに違いない。そもそも戦国大名といえども、家康のように正室と嫡男の命を奪った例などほかにない。いうまでもなく、極めて異常な事件だった。 むろん家康自身、正室の築山殿(ドラマでは瀬名)と嫡男で21歳の信康の命をともに奪うことなど、避けられるなら避けたかっただろう。それでも死ぬことを命じたのは、処断するほかなかったからである。 この事件については、同時代の史料がほとんどないため、真相を明確に記すことは難しい。しかし、かぎられた史料と当時の状況から、一定の推測をする

    NHK大河ドラマを信じてはいけない…徳川家康が長男・信康に対して抱いていた本当の思い 信康の死にショックを受けて寝込んだとは考えられない
    kawakami-mas626
    kawakami-mas626 2023/07/11
    従来は江戸時代になってから書かれた「三河物語」に依拠して、信康事件を解釈していたことと、同時代の史料でより合理的な推測ができることを初めて知った。
  • 1