1989年のドラフト外で、ピッチャーとして横浜大洋ホエールズ(当時)に入団。投手として勝ち星をあげた選手としては川上哲治以来2人目となる2000本安打を達成した。 「今年はクライマックスに行かないといけないんですけど、皆さん知っての通り、琢朗さんが引退を表明しました。皆さん、琢朗さんのために絶対、クライマックス行きましょう!」 ヒーローに選ばれた前田健太がお立ち台でそう叫ぶと、神宮球場はこの日一番の大歓声に包まれた。 この試合の前日にあたる8月27日。広島東洋カープの石井琢朗が今季限りでの引退を表明していた。プロ生活24年。大洋・横浜では中心選手として20年。広島ではスーパーサブとして、若手選手の生きた手本として4年。この日までに歴代11位の通算2430安打をはじめとする多くの勲章と、たくさんのファンの心を掴んできた。 この試合前ミーティングで、カープの選手たちの前で引退の報告をした石井琢
![石井琢朗、広島に愛されて引退へ。横浜ファンが抱く羨望、後悔、感謝。(村瀬秀信)](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/c4d6d7d60265e4e59af8f96c38b3d7e4ec1a45e9/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fnumber.ismcdn.jp%2Fmwimgs%2F7%2F2%2F-%2Fimg_725b0d8f2b32e7e6140b67cba9834e06291734.jpg)