「夏の終わり」は何故か切なく物悲しい。何となくそんな気がする。それは眩しい日差しが少しずつ薄れてゆくせいなのか。それともやがて訪れる秋を無意識裏に受け止めた為なのか。否、ただ単に一人黄昏ているだけなのか。 ひと口に「夏の終わり」と言っても、その気配を知るきっかけは人それぞれ違うだろう。例えば、人影が途絶えた避暑地。歓声が消えたテニスコート。クラゲが漂う波打ち際。仕舞い忘れたビーチチェア。或いは早朝の空気の澄明感、かも知れない。 しかし、もしそれが蝉時雨であると言ったら、少し変に思われるだろうか。実を言うと私に「夏の終わり」を告げるのは「つくつく法師」の鳴き声なのである。 蝉は早ければ五月頃から鳴き始める。「ハルゼミ」という種らしいが私は聞いた記憶がない。専ら耳にするのは、七月初旬の「ニイニイゼミ」と下旬の「クマゼミ」に「ヒグラシ」、それに八月から加わる「アブラゼミ」の大合唱。但し、どれがど