ブックマーク / sagasitasekai.com (4)

  • 飛鳥鍋を食べて古墳の周りを散歩しながら、「気まぐれ」の歴史に思いを馳せたこと - 失われた世界を探して

    明日香村へ飛鳥鍋をべに行った。その土地で古来からされて来た牛乳の鍋である。 毎年冬になるとソワソワして、「飛鳥鍋をべたいねぇ」なんて休日の何気ない会話が始まる。そして家人を乗せてビュンと車で走ってべに行くことになる。 その日は良く晴れていて、変な言い方だけど「飛鳥日和」だった。古墳群の向こうに高くて澄み渡った冬の青空が広がっている。 飛鳥鍋はまさに飛鳥時代、唐の渡来人から伝わった。「牛乳」と「鶏料理」が混ざって土着化し、今の姿になったらしい。要するに大陸から持ち込まれた新しい文化だったとのこと。渡来人たちは生活を便利にする技術や、人を効率的に殺す武器づくりの技術だけでなく、美味しい料理という平和的な文化もこの国に持ってきてくれた、ということになる。 この飛鳥鍋だが、牛乳のこってり感が鶏肉とよく合う。チーズと鶏肉の相性がぴったりなことを考えると、当たり前と言えば当たり前だけど、ダ

    飛鳥鍋を食べて古墳の周りを散歩しながら、「気まぐれ」の歴史に思いを馳せたこと - 失われた世界を探して
  • クリスマスソングを耳にしながらサンタの服の赤さに愛と寛大さを想い、キズナって哀しみの中で初めて生まれるよねって思い出したこと - 失われた世界を探して

    街にはクリスマスソングが流れ、行きかう人々の表情もなんだかウキウキしていて、というのは昔の話で、地味な感じの年末だなぁ、なんて思いながら歩いている。だいたい、みんなマスクしていて、街を行きかう人々が笑っているのか、泣いているのかよく分からない。人々はなるべく集まったりしてはいけないし、なるべく直接触れ合ってはいけないのである。会話もディスプレイ越しが望ましい。という具合の昔はSFの設定以外になかったような時代に、幼少期や思春期や青春を過ごした人たちが、我々の数十年後の老後を支えることになっている。いや、支えないだろう。感情なくゴミのように捨てるかも。自分たちだって貧しいし、別に年寄りだからって尊敬できるわけでもないし、そもそもアイツら生産性が低いし、みたいな感じで。 来年あたりから、「大学時代にサークルとか入る機会なかったですよ。講義も大半がリモートだったし、飲み会なんて高校時代の友人数人

    クリスマスソングを耳にしながらサンタの服の赤さに愛と寛大さを想い、キズナって哀しみの中で初めて生まれるよねって思い出したこと - 失われた世界を探して
  • 「絶望ライン工ch」を観ながら、アジアの奥地で食べたダイナミックな野菜炒めを思い出し「貧しさ」について考えたこと - 失われた世界を探して

    もうすぐ師走である。この国はどんどん貧しくなって行くけど、そして、国ごとオワコンだなんて言われているけど、大丈夫、ショッピングモールに行けば、結構みんな大きな袋を抱えて楽しそうに買い物をしている。クリスマスケーキの予約も、お節料理の予約も、人気のあるやつはあっという間に完売だ。そしてモールのレストラン街に行けば、そう、みんな少々値段が張っても美味しいものをべる為にはお金を出し、さらに行儀よく並んで待っている。 要するに内需の国なのだ。1億人も人口がいるっていうのは、実は非常に大きなマーケットがあるということ。自信を持って日人が日人に対してガンガン商売をしかけ、ガンガン稼いでガンガン消費すれば、かなりいい感じの経済になるのである。 だから、一人当たりのGDPがついに隣の国に抜かされたぁ、なんて周りと比較して落ち込まなくても、このたくさん消費者がいる日の国で、日人を相手に商売すればい

    「絶望ライン工ch」を観ながら、アジアの奥地で食べたダイナミックな野菜炒めを思い出し「貧しさ」について考えたこと - 失われた世界を探して
  • 嬬恋再訪で、父親の思い出とキャベツ畑の記憶の為に、軽井沢でペイネのグラスを買ったこと - 失われた世界を探して

    秋の初めに嬬恋へ行った。再訪である。浅間山の麓(ふもと)一帯に広がるキャベツ畑を観たいと思っていたのだ。 夏前に初めて行った時はまだ時期が早過ぎた。キャベツは芽が出始めたところだった。でも、もしこれが全部丸いキャベツとして成長したら、きっとすんごい景色なんだろうな、いつか絶対に観に来たいな、なんて思っていたから、ついに念願がかなったのである。 で、実際に目の当たりにしたけど、こりゃ有名になるだけあると思った。広大な畑に緑色のキャベツたちが延々と育っていた。その向こうに浅間山と高い秋空が広がり、まさに壮観である。 僕たちは車に乗って、どこまでも続くキャベツ畑の間を走り抜けた。美しい景観だった。最高のドライブコースだ。何度も行ったり来たりし、「愛の丘」でおにぎりをべ、また走り出した。ずっと走っていたい風景だった。 その昔、ヤマトタケルが東国征伐に行く途上、海上で暴風雨に遭った。船はうねりに

    嬬恋再訪で、父親の思い出とキャベツ畑の記憶の為に、軽井沢でペイネのグラスを買ったこと - 失われた世界を探して
    kaze_no_katami
    kaze_no_katami 2022/10/23
    初めまして。読者登録、ありがとうございます。宜しくお願い申し上げます。
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