小田急線の読売ランド前駅を降り、歩いて5分。マンションの一室にある匠技術研究所のオフィスにその人物はいた。ヤマハルーターの初号機である「RT100i」のビジネス立ち上げに深く関わった谷山亮治氏。日本のインターネット黎明期に生まれた国産ルーター立ち上げまでの道程に迫る。 商売するのにルーターがなんだかわからなかった 1995年に発売されたヤマハのルーターの初号機「RT100i」。日本のインターネットの歴史に大きな影響を与える国産ルーターは製造をヤマハ、販売を住友商事が担当する形でスタートした。このヤマハルーターのビジネス拡大に大きく関わったのが、当時住友商事側に所属していた谷山亮治氏になる。 話は1995年4月に谷山氏が住友商事のヤマハルータープロジェクトに参加するところからスタートする。谷山氏は長らくエンタープライズのネットワーク監視・制御システム開発を担当しており、自動運用の仕組みをUN
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