博多名物として、全国的に知られている辛子明太子。 現在は140ほどのメーカーがあるが、そもそも辛子明太子は誰がどうやって作り始めたのか。なぜこんなに全国に広まったのか。そこには「ふくや」の創業者・川原俊夫さんの飽くなき探求心と大らかさ、そして独自の哲学があった。 同社の現社長で、俊夫さんの孫にあたる川原武浩さんは「変な会社なんですよ」と楽しそうに笑う。武浩さんの話から、ふくやの歩みを紐解いていこう。 今からさかのぼること約70年前。戦後の焼け野原だった福岡の中洲に1948年、市場ができた。こぢんまりした店舗の2階が住居。その一角で川原俊夫さん夫妻が開いた食料品店「ふくや」から、辛子明太子は誕生した。 韓国・釜山で生まれ満州電業に勤めていた俊夫さんは、第二次世界大戦に召集されて沖縄で敗戦を迎え、妻と3歳の息子と共に本家のある福岡に引き揚げた。「戦争によって日本は壊れてしまった……生き残った私
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