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ブックマーク / blog.tatsuru.com (12)

  • 改憲のおねがい - 内田樹の研究室

    「知への好奇心」の打ち上げで、ワルモノ先生を囲んでわいわい飲んでいるうちに、安倍政権の改憲についてのロードマップが話題になった。 7月の参院選でそれなりの議席を獲得したら、秋から改憲の動きが加速するだろうから、それに備えて「護憲の全国的なムーブメント」を組織化する必要があるのでは・・・という話だった。 私の考えは、少し違う。 最終的に護憲運動の柱になるのはアメリカだろうと思っているからである。 常識的に考えればわかることだが、改憲論者がうるさく主張しているように、現行憲法は「アメリカが押しつけた憲法」である。 なぜ「押しつけた」かといえば、アメリカの建国理念が「普遍的に正しい」とアメリカ人たちが信じてたからである。 日国憲法はその前文から全条文に至るまで、「アメリカの作品」である。 それも「きわめてできのよい作品」である。 これと自民党の改憲草案を読み比べて「自民党案の方がいいじゃないか

  • 体罰と処分について - 内田樹の研究室

    大阪市立桜宮高校バスケットボール部主将の男子生徒が顧問の男性教諭の体罰を受けた翌日に自殺した問題で、橋下徹市長は15日に記者会見を開き、「(男子生徒が所属していた)体育科は生徒の受け入れ態勢ができていない」として、今春の体育科とスポーツ健康科学科の入試を止めるべきだと市教委に伝えたことを明らかにした。 入試を変更する権限は市教委にあり、長谷川恵一委員長は「非常に大きな問題であり、今すぐには受け入れがたい」と、21日に改めて判断する考えを示した。 橋下市長は午後4時から約3時間20分にわたり市教育委員と意見交換。その後、長谷川委員長らと共同で記者会見し、再発防止策を発表した。その中で市長は、桜宮高の体育科は「指導において体罰が黙認され、歯止めがかけられない状態」と指摘。「いったん入試は止めてもらって、実態解明をする」「そのまま入試をすれば大阪の恥」として、体育系2学科の入試中止を強く市教委に

  • 就活についてのインタビュー - 内田樹の研究室

    朝日新聞デジタルというところからインタビューを受けた。 お題は「就活」。 「就活なんか、するな。卒業するまでは大学生として大学での活動に全力を尽くし、卒業してから、その先のことは考えなさい」というのが私の年来の主張である。 今していることをおざなりにして「ここではない場所で、あなたではない他の人たちとする仕事」に前のめりになっているような人間をあなたは重用する気になるか。 私はならない。 そんな人間はどこにいっても使い物にならないということを経験的に知っているからである。 でも、同意してくれる人はきわめて少ない。 マスメディア上では「ゼロ」である。 珍しく朝日新聞(ただしWEB版)からこの件でお座敷がかかった。 でも、それは「息子が内田樹の書いたものを読んで『就活をやめる』と言い出したので、ちょっと腹を立てた母親」がインタビュアーという、ちょっと不思議な趣向のものであった。 インタビュアー

    kazutaka_ueyama
    kazutaka_ueyama 2013/01/13
    pha氏とかもだけどデフォルト以外のルートでうまくいけるタイプって言うのは往々にしてアドバンテージ持ってる上だったりする品。そういうの持合せてない人がこういうの読むと寧ろ軽く絶望させるかもよ。
  • 国民国家とグローバル資本主義について - 内田樹の研究室

    ある通信社から、選挙結果について、新政権がどのような方向をとるかについてコメントを求められた。 それについてこんなことを書いた。 大づかみに言うと、いま日を含めて地球上のすべての人々は「国民国家とグローバル資主義の利益相反」という前代未聞の状況を前にしている。 国民国家というのは、別に太古から存在したものではない。1648年のウェストファリア条約で基礎づけられた近代の統治システムである。 常備軍と官僚制を備え、領域内の人々は「国籍」というものを持ち、その領域に排他的に帰属しているという意識を持つ(それ以前、例えばカール五世はネーデルランドで生まれて、スペイン王で、神聖ローマ皇帝で、パリに住んでいた)。 国民国家が標準的な政治単位になってそろそろ400年である。賞味期限が切れかけてきたらしく、20世紀末になって脱領域国家的なグローバル資主義が登場してきた。 ボーダーレスに人・モノ・資

  • 「フェードアウト」について - 内田樹の研究室

    維新の会の選挙公約が「日替わり」状態になっている。 少し前に、「今度の選挙では告示前日まで選挙公約が二転三転するだろう」とあるメディアに書いた。 どうしてもこれだけは実現したいという政策があるわけではなく、どうしても議席が欲しいから選挙に出ている人たちにとって喫緊の問題は「どういう政策を掲げれば票が集まるか」だからである。 日維新の会の選挙公約「骨太2013-2016」では焦点の原発問題については「結果的に30年代までにフェードアウト」という意味のよくわからない文言を採用した。 「30年代までに原発ゼロ」は当初橋下市長自身の主張だった。先月24日にそう言明した。その後、原発推進派の石原慎太郎の太陽の党との合流合意で「脱原発依存」についての言及そのものが消えた。 それによって、維新の会の支持者のうち「脱原発」政策に好感していた人々の支持が目減りした。 危機感を持った維新の会は、原発につ

  • コンビニ化する大学と知性の危機について - 内田樹の研究室

    田中大臣の「問題提起」を承けて、大学設置基準の見直し、「総量規制」についての議論が始まった。 不認可そのものは失着だが、「大学はなぜこんなに多いのか?」という問いが前景化されたのは、よいことである。 ものごとはできるだけラディカルに、根底的に論じる方がいい。 議論の基礎資料として、まず大学数の推移だけ抑えておこう。 日の大学数は1949年で、国立68校、公立18校、私立92校、計178校。 私が大学に入学した1970年で、国立75校、公立33校、私立274校、計382校。 設置基準が大綱化された1991年で、国立97校、公立39校、私立378校、計514校。 そして、2011年度で、国立86校、公立95校、私立594公立。計780校。 ほぼ20年ごとの大学数推移をみるとわかることがある。 第一期(いわゆる「駅弁大学」の草創期)に、大学数は20年間で204校、214%増加した。 これは高度

  • 大学を減らすために何ができるのか? - 内田樹の研究室

    田中文科相はいったん不認可とした3大学を新基準で再審査する方針を断念して、現行基準での認可を認めた。 結果的に大臣決定の全面撤回というかたちになった。 それでもなお「大学は多すぎる。大学数を減らすという方向については多くの人の賛同を得ている」と自説の正しさを訴え続けていた。 興味深いのは、田中大臣の方向を官邸が当初は支持していたことである(6日の記者会見で、田中大臣自身が暴露した。) 野田佳彦首相と藤村修官房長官は1日に田中氏から不認可の事前報告を受け、首相は「そのまま進めてください」、官房長官は「大変結構なことだ」と発言したそうである。 事態が紛糾し出してから後も、官邸は大学認可は大臣の専管事項であり、官邸は与り知らないという態度を貫き、結果的に大臣ひとりに罪をかぶせて「スケープゴート」に差し出すというかたちになった。 昨日も書いたことだが、もう少し続ける。 多くの人が「一般論として」は

  • いじめについての続き - 内田樹の研究室

    ある媒体で、「いじめ」についてコメントした。それは昨日のブログに書いた通り。 それについて追加質問が来たので、これも追記として書き留めておく。 Q: 学校という場は社会の雰囲気とは切り離されたものではなく、一定程度の影響を受けていると思います。現実に、リストラが激しくなる一方ですし、1分1秒ごとに自己成長を求められる息苦しい世界になりました。この状況にあって、学校だけを過度な競争社会から切り離してある種のユートピアにすることは可能なのか、それとも競争を是とする今の社会を根底から変えない限り、社会に蔓延するいじめ体質はなくならないのか。この点はどう思われるでしょうか。 A: 学校は来は苛烈な実社会から「子供を守る」ことを務とするものです。それは学校というものの歴史的発生から明らかだと思います。 ヨーロッパで近代の学校教育を担った主体のひとつは、イエズス会ですけれど、それは「親の暴力から子

  • いじめについて - 内田樹の研究室

    ある媒体から、大津市のいじめについてコメントを求められた。 書いたけれど長くなったので、たぶん半分くらいに切られてしまうだろう。 以下にオリジナルヴァージョンを録しておく。 今回の事件はさまざまな意味で学校教育の解体的危機の徴候だと思います。 それは学校と教育委員会が学校教育をコントロールできていないということではなく、「コントロールする」ということが自己目的化して、学校が「子供の市民的成熟を支援する」ための次世代育成のためのものだということをみんなが忘れているということです。 私の見るところ、「いじめ」というのは教育の失敗ではなく、むしろ教育の成果です。 子供たちがお互いの成長を相互に支援しあうというマインドをもつことを、学校教育はもう求めていません。むしろ、子供たちを競争させ、能力に応じて、格付けを行い、高い評点を得た子供には報償を与え、低い評点をつけられた子供には罰を与えるという「人

    kazutaka_ueyama
    kazutaka_ueyama 2012/07/12
    競争無いなら無いでイジメが起こる構造できるし(暇で暇で他にやる事ないから~)/自分の立ち位置の為に特定の話題を出汁にしてる内はこの方自身がお嫌いなどこかの市長を批判できないと思います
  • 「国民生活」という語の意味について - 内田樹の研究室

    野田首相の大飯原発再稼働について国民に理解を求める声明が発表され、それについての評価を東京新聞から求められた。 声明の全文を読まないとわからないので、全文のpdfファイルを送って貰って読んだ。 驚嘆すべき文章であった。 このようなものを一国の国論を二分しているマターについて、首相が国民を「説得」するために語った言葉として公開してよいのか。 私は野田さんという人に個人的には特に好悪の感情を抱いていなかったが、この声明を読んで「誠実さを欠いた人だ」という印象を持ってしまった。 その所以について述べたい。 そのためには、首相の所信表明演説の全文を読んでもらう必要がある。 【野田総理冒頭発言】 日は大飯発電所3,4号機の再起動の問題につきまして、国民の皆様に私自身の考えを直接お話をさせていただきたいと思います。 4月から私を含む4大臣で議論を続け、関係自治体のご理解を得るべく取り組んでまいりまし

    kazutaka_ueyama
    kazutaka_ueyama 2012/06/14
    「「原発事故が起きた場合に損なわれる(かもしれない)国民生活より、電力高騰と電力不足によって(確実に)損なわれる国民生活の方を私は優先的に配慮したい」とはっきり言えばよかったのである。」
  • 原発ゼロ元年の年頭にあたり - 内田樹の研究室

    国内のすべての原発が止まった。 1970年から42年ぶりのことである。 2012年という年号が「脱原発元年」としてひさしく記憶されるようになることを私は願っている。 原発の再稼働の賛否については、文字通り「国論を二分する」ような議論がゆきかっている。 再稼働賛成派の論拠はおもに経済的なものである。 盛夏における電力の不足、電気料金の値上がり、電力コストの上昇による工業製品の国際競争力の相対的低下、より安い電力を求めての生産拠点の海外流出と産業の空洞化などなど。 政治的要因としては、石油依存体制がもたらすエネルギー安保上の不安があるが、これはあまり大きな声で言い立てる人がいない。 ご存じのとおり、石油の採掘、精製、輸送、販売は「オイルメジャー」と呼ばれる石油資が伝統的に独占してきた。メジャーの価格統制を嫌った産油国が1960年にOPECを結成し、石油メジャーによる市場の独占は70年代に終わ

  • 人災の構図と「荒天型」の人間について - 内田樹の研究室

    「東日大震災における天災と人災」というお題で日赤十字看護学会というところで講演をすることになった。 抄録の提出を求められたので、次のようなことを書いた。 「いつもの話」ではあるけれど、番では「いつもの話」じゃないことを話すので、ご容赦ください。 東日大震災から1年を経過して、これが「天災」であるより以上に「人災」であるという印象を私たちは抱いている。 「天災」は自然現象であり、私たちにはそれを防ぐ力がない。「人災」は人間の力で統御できるし、しなければならない災禍である。 その災禍の広がりを防げなかった。 「人災」を用意したのは私たちの社会を深く蝕んでいる「無根拠な楽観」である。「晴天型の世界観」と言ってもよい。 私たちはある「枠組み」の中で「ゲーム」をしている。賭けられているものは権力とか財貨とか文化とか、いずれにせよ「価値あるもの」である。そのやりとりのゲーム、誰かが勝てば誰

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