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ブックマーク / emiyosiki.hatenablog.com (2)

  • 9世紀(平安時代)の岩手県で、はじめて馬をかいた土器が見つかる!【画像あり】 - 歴史ニュースウォーカー

    北上市の八幡遺跡という村落跡から岩手県でははじめて馬を描いた土器がみつかった、このニュースはちょっと前からネットで流れていて、なんどかツイートもしているのですが、ずっと画像がありませんでした。それがようやく出ました。 奈良〜平安時代に東北を舞台にした「三十八年戦争」というのがあります。阿弖流為や坂上田村麻呂が活躍する戦いです。 東北の現地勢力の「蝦夷」は、イメージとして馬に乗っているわけです。 平泉も馬を献上するし、伊達政宗も東北の馬をいばる・・・東北といえば、馬の名産地。 でも、三内丸山遺跡の縄文人は馬に乗っていないです。 馬はもともと日列島にはおらず、朝鮮半島から5世紀頃に渡来したと言われているので、九州から延々と人が放牧地を求めて移動してきて、「適地だ」となったのです。 古代の近畿で牧場があったのは淀川沿いで、渡来系の集落が多い場所。 関東で牧場があったのは群馬県で、渡来系の移住

    9世紀(平安時代)の岩手県で、はじめて馬をかいた土器が見つかる!【画像あり】 - 歴史ニュースウォーカー
    kazuya53
    kazuya53 2013/06/27
    これは馬なのか…?
  • 筆まめ伊達政宗が茨城へ送った裏切りを促す密書が被災した土蔵から発見 - 歴史ニュースウォーカー

    地震で被災した茨城県の土蔵から、伊達政宗が、常陸(茨城)の大名佐竹氏を裏切るように促す密書が見つかりました。読売新聞がきょう(2013年3月25日)報じています。 密書は神仏に誓う「起請文」のスタイルでした。なにを誓っていたかというと、うまくいったら領土を与えるという約束です。 天正17年(1589年)に東北の政宗がなぜ北関東の佐竹氏への裏切りを誘っていたかというと、こういう背景がありました。 山形県米沢を拠にしていた政宗は、福島へ出てどんどん南下していきます。これに対して、福島県の勢力は反政宗連合を結成します。その主力は会津の蘆名と常陸の佐竹でした。むしろ、福島県域は、佐竹が盟主でその下に中小の大名・武将がぶらさがっているというのが実態に近いでしょう。 天正13年 服従してきた二松城(福島県二松市)の畠山氏が突然、父の輝宗を拉致。伊達軍は父親ごと畠山氏を射殺。 人取橋の戦いで、反政

    筆まめ伊達政宗が茨城へ送った裏切りを促す密書が被災した土蔵から発見 - 歴史ニュースウォーカー
    kazuya53
    kazuya53 2013/03/26
    正宗文書って右筆じゃないのか
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