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9世紀(平安時代)の岩手県で、はじめて馬をかいた土器が見つかる!【画像あり】 - 歴史ニュースウォーカー
北上市の八幡遺跡という村落跡から岩手県でははじめて馬を描いた土器がみつかった、このニュースはちょ... 北上市の八幡遺跡という村落跡から岩手県でははじめて馬を描いた土器がみつかった、このニュースはちょっと前からネットで流れていて、なんどかツイートもしているのですが、ずっと画像がありませんでした。それがようやく出ました。 奈良〜平安時代に東北を舞台にした「三十八年戦争」というのがあります。阿弖流為や坂上田村麻呂が活躍する戦いです。 東北の現地勢力の「蝦夷」は、イメージとして馬に乗っているわけです。 平泉も馬を献上するし、伊達政宗も東北の馬をいばる・・・東北といえば、馬の名産地。 でも、三内丸山遺跡の縄文人は馬に乗っていないです。 馬はもともと日本列島にはおらず、朝鮮半島から5世紀頃に渡来したと言われているので、九州から延々と人が放牧地を求めて移動してきて、「適地だ」となったのです。 古代の近畿で牧場があったのは淀川沿いで、渡来系の集落が多い場所。 関東で牧場があったのは群馬県で、渡来系の移住地
2013/06/25 リンク