1998年12月2日にヤクルトスワローズと契約。ヤクルトは同年オフ、ドゥエイン・ホージーとエリック・アンソニーの両選手を解雇しており、彼らと入れ替わる形でペタジーニと[3]、マーク・スミス(前ピッツバーグ・パイレーツ)をそれぞれ新外国人打者として獲得した[7]。背番号は9で、推定年俸約60万ドル(当時のレートで約6,816万円)の1年契約だった[8]。 1999年、開幕から4番を任されるも4月終了時点での打率は.227、本塁打9本と確実性という面では期待ほどの結果を残せていなかったが、5月以降は打率面でも成績が向上。シーズン前半終了時点で打率.324、本塁打26本と結果を残し、怪我をして出場辞退となった読売ジャイアンツ(巨人)の清原和博に代わり、補充選手としてオールスターゲームにも選出された。最終的に松井秀喜(巨人)やロバート・ローズ(横浜)との激しい本塁打王争いを演じ、最終的には44本塁