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小泉純一郎に関するkeepfineのブックマーク (2)

  • 「原子力立国計画」の総責任者・小泉純一郎に「脱原発」を口にする資格なし - kojitakenの日記

    民主党のエネルギー政策が「原発積極推進」に転換されたのは小沢一郎代表時代の2007年だが、一足早く自民党政権が「原子力立国」を打ち出したのは小泉純一郎内閣時代、2005年のことだった。 基目標(『原子力政策大綱』)が2005年10月に閣議決定され、 実現方策(『原子力立国計画』)は2006年6月に策定された。いずれも、「郵政総選挙」で自民党が圧勝したあと、第3次小泉内閣時代のことだ。 さらに小泉は、2005年度限りで太陽光発電の補助金も打ち切った。 さらにさらに。小泉は、香川県多度津町に1982年に建設された原発耐震研究のための多度津工学試験場を「国費の無駄」と称して廃止した。これまた2005年9月のことだ。 郵政総選挙に大勝した小泉は、一気に「原発推進」のエンジンを全開にしたうえ、「安全神話」に頼って原発の耐震研究をリストラまでしてしまったのである。「郵政総選挙」で自民党にフリーハンド

    「原子力立国計画」の総責任者・小泉純一郎に「脱原発」を口にする資格なし - kojitakenの日記
  • サルでも分かる構造改革入門 : 金融日記

    小泉・竹中の構造改革と言うのは最近一部の人たちからバッシングを受けていますが、小泉内閣の時代には国民にもっと希望がありましたし経済もずっと好調だったのは事実です。 もちろん、当時は世界経済全体が好況で、輸出産業を中心として日も大きな恩恵を受けており、経済が好調だったのはすべて小泉・竹中構造改革のおかげと言うつもりはありません。 しかし、当時は既得権益層でがんじがらめにされている日をひょっとしたら変えられるんではないかと言う期待がありました。 ところでこの構造改革はなぜこれほどバッシングをされるのでしょうか? それは大きな損失を被る人たちのグループがいろいろといるからです。 さて、構造改革とは簡単に言うと次のようなことです。 1.官から民へ 2.中央から地方へ 3.規制緩和をして自由競争 まず「官から民へ」を見ていきましょう。 要は政府の官僚が国民から税金を召し上げてやってるものの中で、

    サルでも分かる構造改革入門 : 金融日記
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