「アナと雪の女王」のクリストフはなぜ業者扱いなのか? 夏野剛×黒瀬陽平×東浩紀の3氏が男性視点で新解釈 映画「アナと雪の女王」は美しい映像や楽曲に加え、女性たちの共感を得て大ヒットとなっているが、果たして、男性視点で見たらどうなるのか? 慶應大学大学院特別招聘教授の夏野剛さん、美術評論家の黒瀬陽平さん、そして作家で批評家の東浩紀さんが熱く議論。
「アナと雪の女王」のクリストフはなぜ業者扱いなのか? 夏野剛×黒瀬陽平×東浩紀の3氏が男性視点で新解釈 映画「アナと雪の女王」は美しい映像や楽曲に加え、女性たちの共感を得て大ヒットとなっているが、果たして、男性視点で見たらどうなるのか? 慶應大学大学院特別招聘教授の夏野剛さん、美術評論家の黒瀬陽平さん、そして作家で批評家の東浩紀さんが熱く議論。
日本には情報社会論を研究するような機関がほとんどありませんね。実はGLOCOMも技術的、ビジネス的な色彩が強く、どちらかというと産業寄りで、社会学的分野が手薄だと思っていたので、そのGLOCOMからisedのようなプロジェクトが立ち上ったのにはちょっと驚きました。僕が提唱しているサイバーリテラシーも情報社会論的なアプローチなので、このプロジェクトにとくに強い関心をもったわけです。 まだ僕が勝手にやっているという段階ですが、2003年にGLOCOMに入った当初は、確かに自分の考え方との乖離を感じました。その後、1年経ってようやく接点が見えてきたところです。 情報社会論について議論するには、どうしても世代的なギャップがありますね。isedで参加メンバーを20代と30代に限定したのも、それ以上の世代とはライフスタイルが違うからです。日常的にネットやWinny(ファイル共有ソフト)、2ちゃんねる(
2009年10月24日の「朝まで生テレビ」での東浩紀氏の主張が一部で反響を呼んでいる。簡単にいえば「インターネットを使えば小規模自治体はSNS的なかたちで直接民主制として運営でき、政治家はいらなくなる」といったもの。J-CASTニュースでもあまりこなれてない文章で報道されているが、ブログやtwitterなどのあちこちで議論がわいているようだ。 それなりに「過激」な発言ではあるわけで、当然批判も呼ぶ。あくまで印象論だが、「そんなことできるわけないじゃん」みたいな意見は、むしろネットサービスを熟知した人々からの方が強いのかもしれない。いわんとするところはわかる。とはいえ、意味のない主張だとも思わないので、少し考えてみる。 インターネットを活用した直接民主制という考え方自体は別に新しいものではない。試しにぐぐるとこんなのがすぐ見つかるし、いわゆる「電子政府」とか「e-government」とか呼
むかーしの雑誌を整理(つまり廃棄処分)をしていると思わず目次を開いて、誰が何を書いているのかを確認してしまう。貴重な文章はたいてい読んでいると思われるのだけど、もしかしたら読み逃しているのがあるのではないか、もう一度読んでみたくなる文章があるのではないかと、気になって仕方ないのである。 ということで、むかーしの雑誌を開いていたら、こんな文章を見つけた。当時はまだ東大の大学院生だった東浩紀の「棲み分ける批評」(『Voice』平成11年4月号)という書きもの。なんと、9年も前の文章である。 それを今読んで、はたしてどんな意味があるのかという疑問は、とりあえず読んでみたという事実によって、とりあえず解消される。なぜなら、結構面白かったから。内容が的を得ているかどうかは別として。 発売当時に読んだかどうかは覚えていないけど、読んだ以上は何か形に残しておきたい。そういう考えで、ここに要約を残しておこ
東浩紀のカール・シュミット読解は誤読が多いとずっと思っていた。 例によって速記者が正しければだが、 http://d.hatena.ne.jp/nitar/20081205/p1 カール・シュミット『政治的なものの概念』を何回か取り上げた 何を言っているか 政治は友と敵を分けることだ 友と敵を分けることが政治 誰かが自分の存在を抹殺するかもしれないから相手を抹殺 精神的な意味でも隠喩でもない 「政治は友と敵を分けることだ」とはシュミットは言っていない。 政治的なものは、特有の意味で、政治的な行動がすべてそこに帰着しうるような、それに固有の究極的な区別のなかに求められなければいけない。 (『政治的なものの概念』p14) カール・シュミットにとって「政治」とは、「道徳」や「経済」とははっきりと分けられなければいけない、「友」と「敵」の区別において見出されるものなのである。それは具体的・存在論的
「白鳥のめがね」は、もう更新しなくなっているのでその後書いているブログなどをまとめておきます。 続きのブログ記事はこちら。 http://blog.livedoor.jp/plankblank/archives/487019.html 書評や芸術作品について書いていた。 その後、日記的な内容を次のブログに書くようになった。 http://yanoz.hatenablog.com/ また、学術思想系の話題はこちらのブログに書いている。 「思想の読み書き」 http://readthink.hatenablog.com/ あわせてお読み頂ければ幸いです。 クロムモリブデン自体はじめてみるけど、名前は聞いたことがあった。 作風としては、すこしスタイリッシュで軽快だけど、基本は王道の小劇場スタイルというか、80年代以降の良くあるタイプの演劇の範囲に収まっているとは言えると思う。 だから、僕みたいな
ぼくはなにが専門というわけではないけれど、批評とはなにかについてだけは、ここ15年ほどえらく真剣に考えてきたという自負があります。 そんなぼくにとって、批評という行為については、もはやなにを論じているか、その対象やメッセージはどうでもよくなってしまう傾向があります。言いかえれば、ぼくは批評をメタ作品というよりも、ベタにひとつの作品として読んでしまうところがある。したがって、その社会的な影響力や「正確さ」なんてものは、究極的にはどうでもいい。むろん、多くのひとが批評を逆にそういう点でだけ読んでいるのは知っていますし、その受容は尊重しますが。 それは、シネフィルにとっての映画、アニオタにとってのアニメと同じだと考えればいいかもしれません。いかにひどい物語を語っていても、いい映画、いいアニメはありうる。ぼくはそれと同じように批評を読みます。ぼくにとって批評の魅力は、たとえば、文章の構成、問題設定
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