草森紳一が「あるとき小説がすごく古臭いものだと思った」と書いていた。草森は写真家やイラストレーターに会っているうちに、そう思うようになったらしい。 それがぼくには少女マンガでおこったようだった。なかでも萩尾望都には驚いた。これはどこにも類縁がない。もし類縁があるとすれば、プラトンかエドガー・アラン・ポーかレイ・ブラッドベリである。しかし、ぼくはそういうものがまさか少女マンガになるとはまったく思っていなかったし、ましてそのマンガを読み耽ることになるなんて、考えもしなかった。 たしかに手塚治虫やつげ義春やかわぐちかいじや諸星大二郎に感服して、一夜が明けるということはよくあった。それがいつのまにか、渋谷区松濤の通称「ブロックハウス」の階段を上がったところの広い踊り場に堆(うずたか)く少女コミックが次々に積まれるようになって、それをこっそりぼくが読むようになろうとは。 ここでは『ポーの一族』だけを