ここ最近は、記事を書くことが作業になりつつある。 環境の変化に対応することにリソースを割いているため、心の声を拾い集められていないのだろう。 自分のことを俯瞰して見る。 それが日常ブログの効果だと感じる。 記事を書くために過去のことを思い起こしてみたりだとか、何気ない喜びや憤り、 それを書き留めておいて記事として形にする。 私は何を考えて生きているのか。 それを客観的に評価することが意外と大きい。 人は、「自分は特別な存在」だと思って生きている。 その人にとっての自分は1人しか存在しないのだから、それは当たり前のことなんだけれども、 ともすれば、「自分はもっと報われるべきだ」と歪んだ自己愛で自らの非を包み込んでしまう。 そうなると、それを肯定するためのフローが完成されていく。 小賢しい人であればあるほどに、理論武装して自己正当化に躍起になり、気がつくと歪みは土台から作り直す必要があるほどに