PDFファイルをご覧いただくにはAdobe Reader(無償)が必要です。 ダウンロードした後インストールしてください。 Adobe Readerダウンロードページへのリンク
PDFファイルをご覧いただくにはAdobe Reader(無償)が必要です。 ダウンロードした後インストールしてください。 Adobe Readerダウンロードページへのリンク
地震の当日、3月11日の夜。 午後10時を過ぎたころ、ホテルの方がロビーに小さなテレビを設置してくださった。 私を含め、この時点では何が起こっているのか全く理解できてなかった人達が、寝ていた床からゆっくり起き上がってテレビの周りに集まった。 私もくるまっていた毛布から出て見にいった。 午後 2時 46分に地震があってから 7時間後、初めて情報らしい情報に触れたのがこの時だった。 テレビは信じられない映像を流していた。 文字通り一瞬のうちに津波で流される街。 興奮したヘリコプターからのレポーターの声。 衝撃だった。 テレビを見始めた人はみなひとつの声もあげず、誰も彼も沈黙して画面を凝視していた。 中には、見ていられなくなってテレビの前を離れる人もいた。 津波に飲み込まれる街を見ながら、神戸の地震を思い出した。 あの時も私はテレビを見ていた。 早朝に地震があって、東京にいた私は仕事の最中もずっ
震災の当時、逆境の中で身を挺して患者を守る、様々な英雄が出現しました。しかし一方で、家族の心配や情報の不足など、様々な理由から「英雄にならなかった人々」も大勢います。そのような人々にとっての被災地とはどのようなものだったのでしょうか。 放射線は「見えない恐怖」だったのか 東京下町→ロンドンと移動してきた私にとって、相馬に入って一番嬉しいことは空気が美味しいこと、星が見えることです。オリオン座が見えるのがやっと、というロンドンに比べて、こちらでは住宅地でもほぼ毎日オリオン大星雲とプレアデス星団(すばる)がはっきり見えます。暗くなってから帰宅する楽しみでもあります。 「震災直後はもっと綺麗でしたよ」 と、当時から勤務されているスタッフに聞きました。 「夜が真っ暗でしたから。外に出て『きれいだなぁ』と思ったのを覚えています」 綺麗な空と美味しい空気。その中で放射線汚染、という無味無臭の被災がいっ
流された人が笑顔で手を振っていた「ニコーっと笑って、お前もか、って」 配信=2013/02/07 記事=耳塚 佳代 Tweet 大槌町本町 臼澤良一 64歳 当日は自宅にいたんですよ。事業の報告書を書いていたんです。あとはファイルに綴じるだけだったので、るんるん気分でインデックスを付けていた。そうしたら、とんでもない大きな揺れ。一度も経験したことがない、本当に恐ろしい揺れ。うちが潰されるんじゃないか、死んでしまうんじゃないかという。プリンタやパソコン、本棚とかレコードとか、ぜーんぶ(崩れてきた)。前にも進めない。早く止まってくれないかと思っていたが、本当に長いんですね。 やっと揺れが終わって、そしたらうちの妻が「お父さん津波だから逃げよう」って、1階から声が掛かった。テレビも電気も全部付かない。ラジオのスイッチ入れて聞いたら、3メートルの津波だと。親父の代からあそこに住んでいたけど、ここま
サービス終了のお知らせ NAVERまとめは2020年9月30日をもちましてサービス終了いたしました。 約11年間、NAVERまとめをご利用・ご愛顧いただき誠にありがとうございました。
「訓練でトリアージはやっていましたけど、実際に経験するとは思ってもみませんでした」石巻赤十字病院 阿部 雅昭氏(後編) 2012.03.23 平時から「断らない救急」を掲げてきた石巻赤十字病院では、震災時もその姿勢を貫き通した。次々と搬送されてくる患者を受けいれるだけでなく、自衛隊の指揮所や市の災害対策本部としての機能まで担うことになった大混乱の中でも医療機関としての役割を果たせたのは、日頃の訓練があったからこそだという。(聞き手:クロサカタツヤ インタビュー実施日:2011年10月28日) (中編はこちら) ▼石巻赤十字病院 企画調整課 課長 阿部雅昭氏 自衛隊を通して被災状況を把握 ──インターネットは今回、何か役に立ちましたか? 阿部:正直、まったく使い物にならなかったですね。いつの時点から使えたのか、ちょっと私は記憶にないですが。 通信全般については、被災直後に自衛隊が来たという
「津波で逃げた人がケータイを取りに戻ったというのは、何人も聞きます。それほどケータイは大事なんです」石巻赤十字病院 阿部 雅昭氏(中編) 2012.03.21 電気と水道は本震から数日で復旧した。少し遅れたが2週間以内にはガスも使えるようになった。なのに通信事業者は何も言ってこないから、こちらからつてを頼って移動基地局を手配してもらうしかなかった──「ケータイは文字通り『命の電話』なのに、通信事業者は全く分かっていない」と、石巻赤十字病院の阿部氏は怒りをあらわにする。(聞き手:クロサカタツヤ インタビュー実施日:2011年10月28日) (前編はこちら) ▼石巻赤十字病院 企画調整課 課長 阿部雅昭氏 病院を大事な施設だと認識してくれない通信事業者 阿部:通信に話を戻しますと、NTT東日本はユーザーの状況を調査に来ました。ところが、誰が来たかというと、地元の新聞社に委託して、そこの記者が
「通信がつかえない、かつマスコミも来てくれないでは孤立するという不安感」石巻赤十字病院 阿部 雅昭氏(前編) 2012.03.16 東日本大震災で、津波で大きな被害を受けた宮城県石巻市。地域の中核医療施設として、また一時は庁舎の冠水で機能を失った石巻市役所に代わって災害対策本部となっていたのが石巻赤十字病院だ。テレビの報道番組で「食料が足りない」と必死に訴えていた病院スタッフの姿を記憶している読者も多いのではないだろうか。 だがその姿は、緊急時にこそ必要な外部との連絡手段が「通信規制」によって断たれてしまった現場の、まさに窮余の一策だったという。石巻赤十字病院の阿部雅昭氏が語る、救命の最前線からみた災害時の通信のあり方には、あまりにも問題が多すぎた。(インタビュー実施日 2011年10月28日 聞き手:クロサカタツヤ) ▼石巻赤十字病院 企画調整課 課長 阿部雅昭氏 100億円寄付するな
東日本大震災で、東京電力福島第1原発事故の対応を指揮した陸上自衛隊中央即応集団の宮島俊信・前司令官(58)が、毎日新聞の単独インタビューに応じた。深刻さを増す原発、見えない放射線の恐怖の中で、「最悪の事態を想定し、避難区域を原発から100~200キロに広げるシミュレーションを重ねた。状況によっては関東も汚染されるので、日本は終わりかと考えたこともあった」と緊迫した状況を明かした。 自衛隊が警察や消防などの関係機関を指揮下に置いて任務に当たったのは自衛隊史上初めて。しかし、自衛隊に暴走する原子炉を止める能力はない。宮島さんは「ヘリコプターによる原発への放水は、本格的な冷却装置ができるまでの時間稼ぎにすぎなかった。高濃度の放射能などへの不安はあったが、我々がここまでしなくてはいけなくなったというのは、かなり危険性があるという裏返しだった」と語る。 その上で、「危険に立ち向かってでも事故を抑える
福島第一原発1号機への海水注入を巡り、吉田昌郎所長が本店側の要請に反して注水を継続するため、一芝居打った場面も、中間報告で再現された。 1号機への海水注入が始まったのは、3月12日午後7時過ぎ。海江田経産相の命令だったが、その情報が届いていない官邸では、菅首相らが海水の悪影響について協議していた。 官邸に詰めていた東電の武黒一郎フェロー(65)から電話を受けた吉田所長は、既に海水注入を始めたことを伝えたが、武黒フェローは官邸での協議が終わっていないことを理由に海水注入をいったん止めるよう強く要請した。 吉田所長は、本店などと相談したが、注水中断は危険と考え、自らの責任で注入を継続した。その際、発電所対策本部の注水担当者を呼び、本店などとつながっているテレビ会議のマイクに拾われないよう、小声で「これから海水注入中断を指示するが、絶対に注水をやめるな」と指示。そのうえで、部屋全体に響き渡る声で
個人でも達成できる実践ノウハウ、教えます 発売日: 2024/2/6 好評発売中 Web作成・マーケティング 詳細を見る
movie718 1 件の動画 チャンネル登録 登録リストに追加しました
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く