ブックマーク / booklog.kinokuniya.co.jp (6)

  • 『不作法のすすめ』吉行淳之介(中公文庫) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「遊郭と退屈とダンディの奇妙な三角関係」 退屈はたいへん深遠なテーマである。でも、なぜか正面からは語りにくい。その理由は…?などと國分さんのおかげで考えはじめたときに、ちょうど良いを手に取った。吉行淳之介『不作法のすすめ』である。 著者名から想像できると思うが、こので〝退屈の哲学〟やら〝退屈の倫理学〟やらが開陳されるわけではない。しかし、ここには退屈が、いわば横溢している。退屈したり、退屈しなかったり、退屈しそうになったり、あえて退屈を楽しんだり……そうこうしているうちにこちらは読むはずのなかったことまで読んでいて、はっとしたりする。 語られるのは、「色好みの作家」とされる吉行淳之介の女遍歴である。それもかつての赤線地帯の玄人女とのお付き合い。その手のマニュアルを求めて手に取る人もいるかもしれない。好奇心を満たすような描写や解説もある。しかし、読んでいると、おそろ

    『不作法のすすめ』吉行淳之介(中公文庫) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    kei_ex
    kei_ex 2011/12/10
    「「退屈」という言葉を口にするとき、どうしてもジェスチャーが伴うということである。「退屈」は口にした途端、「退屈している俺(あたし)」や、「退屈を話題にしている俺(あたし)」を突きつける。」
  • 『わたしを離さないで』カズオ・イシグロ(ハヤカワepi文庫) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「人間の究極のエゴイズム」 作年末はフランス西部のブルターニュにある漁港で過ごした。温和な気候で知られる町だが、新鮮な魚が手に入るのは嬉しい。どんな旅行にも何冊かを抱えて行くが、昨年最後に読んだこの作品は、色々と考えさせられるものだった。 カズオ・イシグロの作品は『日の名残』しか読んでいないが、二人称的で静謐な文体と日生まれの作家がなぜイギリスの貴族社会のことをこんなに詳しく知り得たのだろうかという素朴な疑問が記憶に残っている。今回読んだ『わたしを離さないで』も同じ特色はあるのだが(貴族社会とは関係ないが)テーマは似ても似つかないものだった。 テーマは割りと早い段階で明らかになるし、冒頭からいくつかヒントが出されているので、勘の良い読者ならばすぐにこの恐ろしいテーマに気づくだろう。だが、解説者の柴田元幸も訳者の土屋政雄も、読者が自分で気づいたほうが良いと考えている

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    kei_ex 2011/01/24
  • 『反日、暴動、バブル―新聞・テレビが報じない中国』麻生 晴一郎(光文社新書) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「中国に胎動する新しい動きの現地報告」 2010年は中国にとっても、日中関係にとっても大事件の相次いだ年だった。劉暁波氏のノーベル賞受賞や、尖閣諸島をめぐる漁船衝突事故、さらには北朝鮮による韓国への砲撃事件など。 書は、中国で長い取材活動を続けてきたルポライターである著者が、2009年の時点で、中国で胎動する新しい動きを捉えたルポルタージュである。すでに中国に詳しい層には広く読まれ、高い評価を受けているであると言えるだろう。 書のモティーフを要約すれば、以下のようになる。 農村や地方で、自国政府への抗議デモが相次いでいるが、その背景を日のメディアは分析しきれていない。またスポーツイベントなどで「反日」の盛り上りなどは大きく報道されるが、問題なのはこうした「反日」現象というより、「親日」が不在であることだと著者は言う。 その理由は多くの場合、中国政府の定める教育

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    kei_ex 2011/01/18
    中国国内の階層問題を踏まえましょう、という話"愛国教育とは「日本軍から中国人民を救った中国共産党の活躍ぶりを宣伝」するものであり、むしろそれに対しうんざりした感情を抱いていた"
  • 『切りとれ、あの祈る手を――<本>と<革命>をめぐる五つの夜話』佐々木中(河出書房新社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「情報と文学の関係」 著者の佐々木中氏は『夜戦と永遠 フーコー・ラカン・ルジャンドル』(2008年)という大部の思想書で、注目を集めた。書でも特にルジャンドルが重要な導きの糸となっているものの、主題はあくまで「文学」に据えられている。 では、佐々木氏の文学観はどのあたりにあるのか。彼の語りは一種憑依型で、独特のリズムがあるが、言わんとすることは比較的単純である。すなわち、無味乾燥な「情報」の摂取にまで切り詰められた読書行為を、徹底して身体的で崇高なものとして捉え返すこと、これである。佐々木氏にとって、それはほとんど、読めないテクスト(聖典)を読み、しかも書き換えるという逆説的行為に近い。ゆえに、文盲であったムハンマド、読むことを「祈りであり瞑想であり試練である」といったルターが高く評価される。あるいは、ダンスや音楽を通じた「革命」が志される。 逆に、書では、「情報

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    kei_ex 2010/12/07
  • 『IN』桐野夏生(集英社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「『OUT』から『IN』へ」 桐野夏生は、一九九七年に出た『OUT』で大きな注目を集めた。工場の深夜パートに出ている団地の主婦たちが、夫の暴力や介護、貧困でじりじりと心身をすり減らすなか、ほんのささいな偶然からバラバラ殺人の犯人になり、ついにはヤクザまがいの仕事まで請け負うようになる……。そんな筋書きを備えた『OUT』は、それまでノーマルだと思われていた階層にこそ、実は巨大なストレスと不安が集積しているのではないかという問いを内包していた。ノーマライゼーションや包摂のプログラムが内部崩壊しつつあった当時の日社会の世相を抉り出した作品として、今なお『OUT』は桐野の代表作と呼ぶに相応しい。 その後も桐野は、大筋ではいわゆる「社会派」的なモチーフ、具体的には社会の周縁に弾かれた労働者や、屈と嫉妬を抱えたOLなどを題材にして、多くの長編を発表してきた。そして、そこでもや

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    kei_ex 2010/11/27
  • 『グーテンベルクからグーグルへ ―文学テキストのデジタル化と編集文献学』 シリングスバーグ (慶應義塾大学出版会) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 昨年の出版界はGoogle Book Search問題で揺れに揺れた。11月になって公開書籍の範囲を英語圏に限定するという新和解案が出て一気に熱がさめたものの、それまでは黒船来襲もこうだったのではないかというほどの騒ぎで、たいして内容のない似たようなシンポジュウムや研究会があちこちで開かれた。 たまたまその渦中で出版されたのが書である。題名が題名だし、帯に「Googleショックの質を衝く必読書!」とあったのを真に受けて買った人がずいぶんいたようである。 しかし書はGoogle問題とは関係がない。書は『新しいカフカ』で紹介されていた編集文献学という新しい学問の日最初の翻訳である。Googleがやっているのは単に紙のを画像で公開し、出版社や書店に代わって購読料を徴収して著作権者に配るだけだが、著者のシリングスバーグが考えているのははるかに先のことである。作品

    『グーテンベルクからグーグルへ ―文学テキストのデジタル化と編集文献学』 シリングスバーグ (慶應義塾大学出版会) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    kei_ex
    kei_ex 2010/03/01
    "作品本文の推敲の過程をWeb技術で再現し、同時代批評や関連作品、背景知識をリンクした統合学術(ナレッジ)サイトをどう構築するか"
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