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考察とselfに関するkei_keiのブックマーク (7)

  • CELL REGZAの何がすごいか - あんだあどらいぶ

    「CELL REGZA」詳細仕様。新LED/超解像搭載の最上位TV - AV Watch 株式会社東芝は、メディアプロセッサ“Cell”を搭載した液晶テレビ「REGZA(レグザ)」のフラッグシップモデル「CELLレグザ 55X1」を12月上旬に発売する。価格はオープンプライスで、店頭予想価格は100万円前後の見込み。 PlayStation 3にも搭載している高性能メディアプロセッサの「Cell Broadband Engine」を搭載した液晶テレビで、同社のREGZAシリーズ最上位モデルと位置付けられる。アルミボディのディスプレイ部と、メディア処理回路や Cell、11系統の地上デジタルチューナ、3系統のBS/110度CSデジタルチューナ、1系統の地上アナログチューナ、3TB HDD搭載したチューナ部から構成される。 東芝のCELL REGZA、CEATECでも大人気だったようだ。 確か

    CELL REGZAの何がすごいか - あんだあどらいぶ
  • 日本メーカーの製品デザインがいまいちな原因その2 - あんだあどらいぶ

    先日の記事のコメント欄で、「技術を説明できていない」という原因もあるのでは?という指摘をいただいた。で、考えたこと。 技術者が技術を説明できないというのは、その技術の意味や良さをデザイナーや経営陣が理解できない、ということになる。だからその技術を製品に活かすようなデザインやコンセプトが生まれてこない。 で、これは逆にあてはめることもできて、デザイナーがそのデザインの意味や良さを技術者や経営陣に説明できてない、ということもありえる。だから、経営陣が「そのデザインじゃないだろ」とか言い出したり、技術者がそのデザインを実現させるだけのモチベーションを得られず「そんなの無理」で片付けてしまう。 ようするに、その製品に関わるすべての人の間で、製品のコンセプトが共有できてないことが問題なんじゃなかろうか。 良く考えると、製品のデザインの良し悪しのまえに、製品のコンセプトが必要だ。コンセプトあってこその

    日本メーカーの製品デザインがいまいちな原因その2 - あんだあどらいぶ
  • 日本メーカーの製品のデザインがいまいちな原因 - あんだあどらいぶ

    の家電メーカーが出す商品はなぜ”もっさい”のか - キャズムを超えろ! 日メーカーの製品のデザイン、確かにあんまり良いとはいえない。特にヨーロッパの製品と比べるとそう感じる。その原因は上の記事でも言われてるようにメーカーの構造的問題という面もあるだろうが、それだけではないはず。製品のデザインを良くできない理由をいろいろと考えてみた。 製品デザインにまつわる制約 デザイン能力による制約 まずは、そもそもいいデザインのできるデザイナーが日メーカーにいるのか?ということ。上の記事では、「モックの段階ではいいデザインもある」というが、ほんとにそうなのか。いいデザインだったからモックだけど人に見せてるだけではないのか。いいデザインができる人材がいないといいデザインの製品は出せないので、結局他社製品と似たような無難なデザインに落ち着く。 社内の承認制度による制約 上の記事でも言われてることで、

    日本メーカーの製品のデザインがいまいちな原因 - あんだあどらいぶ
  • プラネテスでロックスミスの言う人間の苦しみとは何か? - あんだあどらいぶ

    プラネテスについて思うこと - あんだあどらいぶ プラネテスについての考察 - あんだあどらいぶ 上の2つの記事で、人類は苦しみ続けているという事を書いたので、こんどは苦しみって何?について書いてみる。 一言で言うと、人類の苦しみとは、進歩し続けなければいけないこと、だろう。 農業は人類の原罪だ、という考えがある。こちらの農業は人類の原罪であるというに書かれてる。だいぶ前に読んだものなのでうろ覚えだけど、内容は次のような感じ。 人類が狩猟採集生活をしていた頃は気候も良くて、獲物やら果物やらが豊富にあったので、それほど苦労も無く暮らしていた。でもしょせん狩猟採集生活なので料の供給は不安定。だからそれほど人口も多くなかった。で、あるとき人類は農業をやり始めた。農業によって安定的に料が手に入るようになったので、人口が増え始めた。すると今度はその増えた人口を維持するために農業をやめることがで

  • ロックスミス問題についてのまとめというか考察 - あんだあどらいぶ

    toruotの日記 上の記事を含めてロックスミス問題関連の記事を見てて思うのは、ほんといろんな見方をする人がいるものだなあ…ということ。たぶんそのいろんな見方のポイントは、「道徳に勝る大儀ってあるの?」って事と「ロックスミスの魅力って何?」って事かと。で、ちょっとロックスミス問題についてまとめてみた。 「道徳に勝る大儀はあるか?」ってのはまあ、プラネテスに限った話じゃないんだけど、それってそもそも答え出せない問題、というか文脈でどうにでもなる問題かと思う。大儀とか全体の利益のために一部の人を犠牲にしていいのか?と言われれば、そりゃ良くないに決まってる。じゃ、誰も犠牲にしないように大儀なんて捨てましょうってことになるけど、それでホントにいいのか?と。たぶんそれは大儀ってのが何なのかによっても変わってくる。 たとえばグスコーブドリの伝記のように、みんなの命を助けるために誰か一人犠牲になって死な

    ロックスミス問題についてのまとめというか考察 - あんだあどらいぶ
  • プラネテスについての考察 - あんだあどらいぶ

    前回の続きで、プラネテスの自分なりの解釈について書き綴ってみる。 前回はロックスミスの人物像について書いてみた。まとめると以下のような感じ。 人類は苦しみを背負っている。その苦しみから逃れるためには人類は進歩し続け、神にならなければならない。が、進歩し続けることそのものも苦しみ。それでも誰かが挑戦しなければならない。それがロックスミス。進歩するための挑戦の裏に新たな悲しみを生み出している事を知りながら、それでも進歩し続けようとする。その先に真の愛を知るときが来ると信じている。といった感じ。 宇宙開発は誰かが挑戦しなければならないのだが、それ自体が人類に与えられた罰と言えるほど苦しいものだ。その困難にどうやって挑むのか、そのエネルギーは何か、と考えると、それは「ワガママ」なのだ。「ワガママになるのが怖いやつに宇宙は拓けねぇさ」という台詞に象徴されている。かつて宇宙開発に挑んできた科学者や宇宙

    プラネテスについての考察 - あんだあどらいぶ
  • プラネテスについて思うこと - あんだあどらいぶ

    『プラネテス』のポリティカ その2 - 猿虎日記(さるとらにっき) プラネテスについて考察した記事。 いろいろな見方をする人がいるものだなぁと思いつつ、自分の見方もちょっと記しておこうかな、という気になったので、以下に自分なりのプラネテス論を書き綴ってみる。 宇宙防衛戦線の位置づけとプラネテスの世界の背景 物語中に登場するテロ組織「宇宙防衛戦線」の存在は、核融合を実現し宇宙資源の利用が進んだ未来の世界でも、人類の苦しみ(貧困やテロや戦争)は現在と何も変わってない事を暗に示している。そういう意味で、物語の重要な背景になっている。単に悪役のステレオタイプとして登場しているのとは違うように思う。 プラネテスという物語の背景として、核融合技術の実用化がある。プラネテスの世界では核融合による発電や核融合エンジンが実用化されて、利用されている。そしてその燃料としての重水素やヘリウム3、またその他レアメ

    プラネテスについて思うこと - あんだあどらいぶ
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