タグ

ブックマーク / www.udiscovermusic.jp (3)

  • プログレがポップスに転向した80年代:プログレの前途が真っ暗だった時代に成功した作品たち

    1970年代後半は、プログレ・ミュージシャンにとって厳しい時代だった。1970年代前半から中盤にかけては彼らの全盛期であり、手の込んだ変拍子、壮大でコンセプチュアルな組曲、指の関節が折れそうな複雑なリフといったいかにもプログレっぽい要素が人気を集めていた。しかし1970年代の終わりになると、そうしたものは客受けが悪くなっていく。その代わりに流行したのはニュー・ウェイヴであり、「短くてシンプルでスッキリ」が当時の合言葉となった。 ただし「パンクがプログレと敵対関係にある」というイメージは、ほとんどの場合、マスメディアが作り出したものだった。たとえばラモーンズのジョーイ・ラモーンのレコード・コレクションには、イエス、ジェネシス、ELPも入っていた。またセックス・ピストルズのジョニー・ロットンはあからさまにヴァン・ダー・グラフ・ジェネレーターのピーター・ハミルの影響を受けていた。そしてザ・ストラ

    プログレがポップスに転向した80年代:プログレの前途が真っ暗だった時代に成功した作品たち
    kei_mi
    kei_mi 2024/07/29
    うにゃうにゃロンリハートからさかのぼってプログレ知ったな~
  • ケンドリック・ラマーが地元大学の卒業式に登場。彼がスピーチで語った全文翻訳

    ドレイク(Drake)とのビーフの応酬の中で生まれた楽曲「Not Like Us」がディス曲ながらストリーミングヒットとなり、全米シングルチャートで1位となるまでの成功となったケンドリック・ラマー(Kendrick Lamar)。 そんな彼が、2024年6月7日にケンドリックの地元であるカリフォルニア州コンプトンのコミュニティ・カレッジ、コンプトン大学(Compton College)の卒業式にサプライズで登場し、卒業式にスピーチを行った。その全文を公開。訳はライター/翻訳者の池城美菜子さん。 <関連記事> ・ケンドリックのコンセプト・アルバムの傑作『good kid, m.A.A.d city』を読み解く ・ケンドリック・ラマーのベスト・ソング30:頂点に上り詰めたラッパーによる名曲 Compton College Commencement 2024 イヤー イヤー イヤー イヤー イヤ

    ケンドリック・ラマーが地元大学の卒業式に登場。彼がスピーチで語った全文翻訳
    kei_mi
    kei_mi 2024/06/13
    コンプトンで大学卒業するというだけで偉業。 ”君たちはみんなすごく苦労したよね 家庭でも大変だったろうし、育った地域でも苦労したはずだ”
  • BS朝日「町山智浩のアメリカの今を知るTV In Association With CNN」総合演出インタビュー

    BS朝日にて毎週月曜日の21時から放送されている「町山智浩のアメリカの今を知るTV In Association With CNN」。知ってるようで知らないアメリカ社会の“今”を、カリフォルニア在住の映画評論家・町山智浩さんが、解りやすく紐解いていく番組で、政治問題や現在の社会が抱える軋轢、映画などを取り上げつつ、音楽も積極的に取り上げています。そんな番組の総合演出の斎藤 充さんに、番組の成り立ちや取り扱う音楽やミュージシャンについて伺いました。 番組の成り立ちについて ― 今回は諸々お聞きしていきたいんですけども。斎藤さんのこの番組での肩書は? 斎藤:総合演出です。最初の単発番組の時はプロデューサーで、BS朝日の編成制作局長の藤川克平さんという音楽仲間と一緒に立ち上げました。藤川さんはもともとはMステから入って、そこからテレ朝の営業、編成、制作部長を歴任して、いまはBS朝日の編成担当取締

    kei_mi
    kei_mi 2020/01/18
    “町山さんが「いまの、撮れた? ギャング、撮れた?」とか言うから、「それはさすがにちょっとね……いや、撮れてないです」って”(笑) / でも吉田類さん強すぎ
  • 1