人が世界をどのように知覚しているかについて、仮説を持っている。 それは、「人は世界を"パターン"で捉えている」だ。見ている像、聞こえている音がそのまま脳で処理されているわけではない。有限の神経系、感覚器官で対応するため、世界は人相応にパターン化される。珍しい仮説ではないが、このパターン化は自分自身に最適化されているところがミソ。世界は知覚する段階で既に再解釈され、歪み、わたし向けにカスタマイズされているのだ。 たとえば、ある部分を見る/聞く/理解するetc…とき、知覚外の部分や隠れている箇所を、あたかも連続しているかのように補完しようとする。自然界では、対象を完全に捉えることはまれだろう。一部が遮られたりノイズが入るのが普通だ。人は、記憶や経験によって、その隠れた部分を補い、連続したものとして扱おうとする。そして、先天的なパターン回路を、文化的にカスタマイズされたパターンを獲得するのが、発