――啓子さんはお通夜で「父は自宅の自分の部屋で亡くなりました。本当に強運な人でした」と挨拶されましたが、最後のころの宮澤さんはどんなご様子だったのですか。 宮澤 父は最期まで、家族や親戚と会って、話をしていました。本当の寝たきりになったのは、最後の4、5日だけでした。亡くなる1週間前まで、リハビリを兼ねて週に1、2度は事務所に出かけていました。最後の最後まで新聞とNHKのニュースを必ず見ていました。しかし、政治家として、活動ができない父は、生きていても満足ではないだろうと私は思っていましたし、たぶん父も自分の与えられたミッションはもう十分果たしたと思って亡くなった。ですから、本当に寿命だったと思います。 宮澤 父にセカンドライフはなかったし、必要もなかったと思います。まず、父は普通の人ではなかったし、たとえば、引退した人が好む観光旅行や趣味の習いごとなど、普通の楽しみにはまったく興味はあり