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Interviewとpovertyに関するkenjiro_nのブックマーク (6)

  • 「ロスジェネにつながりはいらない」赤木智弘さんが語る唯一の救済策

    中高年になったロスジェネ お金を渡せばいい つながり失うことを恐れない 「ロスジェネに、つながりはいらない」。ロスジェネの代弁者として発信を続けてきた赤木智弘さんは、雇用対策や街コンなど、つながりのきっかけを作ろうとする政策の限界を指摘。そして、ロスジェネを救う手段は「お金を直接、分配すること」だけしかないと訴えます。「『丸山眞男』をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。」で注目を浴びた赤木さんに、今、ロスジェネのためにできることをつづってもらいました。 中高年になったロスジェネ ロスジェネが注目された時代から、すでに10年以上が経った。 10年が経ったということはどういうことか。 それは「ロスジェネ世代が10歳、歳を取った」ということを意味する。 冗談やちゃかしで言っているわけではない。 10年前、すでに30歳前後となり、若者とは言ってもギリギリだった人たちは、その10年後には

    「ロスジェネにつながりはいらない」赤木智弘さんが語る唯一の救済策
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2019/08/07
    つながれないと言ってしまうのは赤木氏ならではなんだろうけど、それこそロスジェネの救済を前面に出した政党がこないだの参議院議員選挙で見えてなかったのはどう考えるといいのだろうか。
  • 失われた20年インタビュー:作家・雨宮処凛さん「格差が、同じ日本で言葉が通じないくらい広がった」 | 毎日新聞

    フリーターとして働いた苦しい経験から非正規労働の救いのない状況、貧困を訴え続けている作家の雨宮処凛さん。「同じ日に住んでいて言葉が通じないぐらいに格差が広がってきている。生活意識も何もかも全部違って、格差の上位の人と下の人たちで、一つも共感できるところがないふうになっている。そういう社会ってちょっと怖い」と話す。【聞き手・尾村洋介/デジタル報道センター】 −−雨宮さんがフリーターになったいきさつを教えてください。

    失われた20年インタビュー:作家・雨宮処凛さん「格差が、同じ日本で言葉が通じないくらい広がった」 | 毎日新聞
  • 世界一貧しい大統領と呼ばれた男 ムヒカさんの幸福論:朝日新聞デジタル

    質素な暮らしぶりから、「世界で一番貧しい大統領」として注目を集めた南米ウルグアイのホセ・ムヒカ前大統領が、近く出版社などの招きで初来日する。「清貧の思想」を地でいく農園暮らしの根っこには、いったい何があるのか。いまも上院議員として、国民から熱い支持を受ける政治家の自宅を訪ね、その原点を聞いた。 ◇ 首都モンテビデオから車で30分。畑のわきの小さな平屋で、ムヒカ氏は上院議員のと2人で暮らす。愛車は1987年製の昔懐かしいフォルクスワーゲン。自ら家事をし、畑も耕す。秋を感じる南半球の3月。トレパン姿で出てきたムヒカ氏が、庭のベンチに腰を下ろした。 大統領公邸に住まなかった理由 ――とても静かですね。 「いいところだろう。この国は自然豊かで、とても美しい。特にこんな小さな村は年寄りが暮らすには、もってこいなんだ」 ――大統領公邸には結局、引っ越さなかったそうですね。 「当たり前だよ。私はもとも

    世界一貧しい大統領と呼ばれた男 ムヒカさんの幸福論:朝日新聞デジタル
  • シングルマザーの貧困は本当に「自己責任」!?100人調査でわかった母親たちの実態

    1963年、福岡市長浜生まれ。1990年、東京理科大学大学院修士課程(物理学専攻)修了後、電機メーカで半導体デバイスの研究・開発に10年間従事。在職中より執筆活動を開始、2000年より著述業に専念。主な守備範囲はコンピュータ全般。2004年、運動障害が発生(2007年に障害認定)したことから、社会保障・社会福祉に問題意識を向けはじめた。現在は電動車椅子を使用。東京23区西端近く、農園や竹やぶに囲まれた地域で、1匹の高齢と暮らす。日常雑記ブログはこちら。 生活保護のリアル みわよしこ 急増する生活保護費の不正受給が社会問題化する昨今。「生活保護」制度自体の見直しまでもが取りざたされはじめている。連載では、生活保護という制度・その周辺の人々の素顔を知ってもらうことを目的とし、制度そのものの解説とともに、生活保護受給者たちなどを取材。「ありのまま」の姿を紹介してゆく。 バックナンバー一覧 現

    シングルマザーの貧困は本当に「自己責任」!?100人調査でわかった母親たちの実態
  • 【川嶋あい】あいの贈り物 「偽善と言われてもいい」社会貢献続け - ぴいぷる - ZAKZAK

    生まれた瞬間から実父は行方不明。実母も重い病を患っており、乳児院で人生をスタートした。母とは3歳で死別し、養護施設を経て、5歳の時に川島家の養女になった。その時から演歌歌手を目指して数々のコンクールに出場。15歳で単身上京し、路上ライブ1000回をこなした後、新曲「My Love」がフジテレビ系バラエティー番組「あいのり」の主題歌に抜擢され、メジャーデビュー。 文字にすれば、たった180字だが、小柄でかわいらしい顔からは想像もできない壮絶な半生だ。だが、その彼女をして「人生で最もインパクトのある日々だった」と言わしめたのが、今年春のインドの大都市コルカタの訪問だ。BSフジ開局10周年記念番組「10の世界~10歳、10カ国、10人の世界…~」の企画のひとつとして、現地で知り合った10歳の貧しい少女と3日間、寝をともにしたのだ。 「初めてインドを訪れましたが、とにかく圧倒されたのが人の多さ。

  • livedoor 10周年記念スペシャルインタビュー「きっかけはlivedoor 2009」 : "これから日本のウェブサイトを変えなきゃいけないと思います" - 池田信夫さん

    インタビュー 2009年12月18日10:00 カテゴリ "これから日のウェブサイトを変えなきゃいけないと思います" - 池田信夫さん --ライブドアという名前を最初に池田さんが認識されたのは? 池田信夫氏(以下、池田) 一番最初の付き合いはオン・ザ・エッヂからですね。たしか2000年頃でITバブルの崩壊した直後くらいです。僕が『ホットワイアード』っていう日版のウェブサイトでコラムを書いていたときに、そのサイトの運営をしていたのが、オン・ザ・エッヂだった。僕のところにきた支払調書がオン・ザ・エッヂからで、「そういう会社があるんだな」くらいに思ってましたね。それで、その名前を聞いた前後に、オン・ザ・エッヂがマザーズに上場したんですよ。その時にはすごい値がついた。 最初はライブドアは無料プロバイダとして始まったんですよね。でもオン・ザ・エッヂがライブドアを買収して、名前を買収された会社

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