回りすぎてしなしなになってるやつを最初にいただく。それは「場」への挨拶であり、大海からここへ至った魚への哀悼と感謝であり、後にオーダーするお気に入りの感動を増幅させるための踏み台でもある。ああ罪深い 変なブコメ
嘘すなわち悪、ということではもちろんなくてね。 そして、「いい話だから、僕は許す」という思考回路が出来上がってしまったら、おそらく、その「許容範囲」はどんどん広がっていって、「自分にとって都合の良いことは、どんな嘘でも信じる人間」になってしまいかねません。 結局のところ、そういう「自己正当化の暴走」を食い止めるためには、「それが事実かどうか」を、ひとつの境界にするしか無いのだと思うのです。 【読書感想】江戸しぐさの正体 - 琥珀色の戯言 とはいえ、事実は小説よりも奇なりというところはあって、いい話の類型は大体事実にあったりしますよね。 僕は「感動そのものは無罪」だとは思っているんですよ。問題はその先にあって、そのいい話が結果として何につながるか。かの「一杯のかけそば」だってあの感動が社会問題を解決させたりはしなかったけれども、悪化もさせなかったと思うんですよね。ただし、フィクションを実話と
私が住んでるマンションの張り紙で「ゴミ捨ては奥からお願いします、後から持ってきた人が迷惑です」って張り紙がされていた。 奥行きがあり密閉されたゴミ捨て場は扉も鉄で重い。しかも福岡市のゴミ捨ては「日が沈んでから0時まで」なので暗闇の中でゴミを捨てるわけだから明かりも無い暗いゴミ倉庫でわざわざ奥まで入って捨てるなんて怖くてするわけない、だから当然手前から捨てるの当たり前だと思ってたし、私も入り口にはすてないけど近くにほおり投げてた。 そんなことルールにして人に言うほどのもんでも無いし、重いものじゃないんだから蹴ってどければいいじゃないかとと思うんだけど、そういうルール作るの大好きな人がたくさんいる。 ルールって作るのに全員の意見とか賛同いらないから凄い簡単。 身の回りの同意見の人を数人集めて「困ってるザマス!なんとかして欲しいザマス!ルールを作って張るざます!」って盛り上がれば、なんでもかんで
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