3D都市モデルが実装されることで、未来はどのような展望を見せるのか。 インタビューやレポートを通じて、多角的な視点で3D都市モデル、そしてPLATEAUのさまざまな可能性を読み解きます。
前回このコラムで紹介した、国土交通省が主導する3D都市モデルの整備プロジェクト「Project PLATEAU(プラトー)」の記事には大きな反響があった。多くの読者が、PLATEAUが持つポテンシャルに気づいてくれたのだと思う。 PLATEAUの3D都市モデルは、専用サイトで一部公開が始まっている(https://www.mlit.go.jp/plateau/)。Webベースのビューワー「PLATEAU VIEW(プラトービュー)」(ベータ版)を使えば、誰でも見られる。関心がある人は、ぜひ体験してほしい。 一例として前回は、PLATEAUの電子地図が備える「建物の高さ」という意味情報(セマンティック)と、河川が氾濫したときの浸水ランクを示したハザードマップの情報を重ねたケースを取り上げた。建物の高さといった意味情報を、PLATEAUでは「CityGML」という記述言語で書き込んでいる。 今
令和元年7月11日にJR 九州長崎線において、独立行政法人 鉄道建設・運輸施設整備支援機構が発注した渇水対策井戸の試掘ボーリング工事のボーリングロッドがトンネルを突き抜け、列車と接触する事象が発生しました。同機構によれば、同機構が発注に用いた国土地理院の地図におけるトンネルの位置が、実際のトンネルの位置と異なっていたことが原因の一つとされています。 国土地理院の地図に記載している道路及び鉄道の地下構造物(トンネル内の経路等)については、一般的に、施設管理者から資料の提供を受け、地図に反映しています。地下構造物は、航空写真に写らず容易に確認作業ができないため、地上の構造物と比較して精度が低下している可能性があります。特に建設年次が古く、路線長が長く、直線でないものについて、より可能性が高いと考えています。 国土地理院の地図については、上記の点をご理解いただき注意して利用されるよう情報提供いた
岐阜市では、戦後の混乱期以降およそ70年にわたっておよそ250世帯が、全く同じ住所となっている地区がありましたが、住民生活の一部に混乱が生じているとして、新たに建物ごとの住所が割りふられ、12日告示されました。 戦後の混乱が続く昭和25年ごろに市が復興住宅を建てた際、建設や入居を急いだためだということです。 以後、この状態がおよそ70年続き、郵便物が別の家に届けられたり、消防車や救急車などを呼ぶ際に場所を伝えにくかったり、住民生活の一部に混乱が生じていたということです。 このため、岐阜市は、土地の登記を変更せずに建物ごとに番号を割りふる作業を進めていました。 新しい住所は「鷺山南何番何号」と表示され、12日朝、市の職員が、住所が書かれた用紙を市役所の前に告示しました。 岐阜市市民課の中村公一さんは「長年、先輩から引き継いできた懸案事項で、住民の皆さんには不便をおかけしてきましたが、ようやく
本人限定受取郵便で郵便物を受け取る時には身分証明がいる。 なので免許証を提示した。 免許証の住所には字(あざ)と印字してあるが送られてきた封筒には字(あざ)が入っていない。 なのでまったく同じ住所でなければお渡しできないので一度返却しますのでもう一度正しい住所で送ってもらってくださいとのこと。 嘘でしょ。ねぇ!嘘と言ってよ!!こんなバカな話ある? よっしゃ分かった。配達員さんの立場上そういう決まりならしょうがない。そういう教育を受けてて馬鹿らしいのが分かっててもそれを忠実に守ってるんだね。君は偉い!! そこで相談なんだが・・・・・ この免許証はコピーして持っていくわけじゃないんだよね。 だったら字(あざ)があったか無かったかなんて今ここにいる僕たち二人以外誰も知るよしもないじゃないか。 君の裁量でオッケーしてくれれば誰にもバレることなくすんなり終わる話だよ。な。そうだろ~。 「いえ。ダメで
【吉本美奈子】東京都千代田区三崎町と猿楽町の住所表示に、かつて冠していた「神田」をつけるかどうか。実は40年以上前に神田を外した歴史がある。10年近く、住民の意見が二分するなか、区は25日、34年ぶりに住居表示審議会を開いた。賛成派、反対派双方から主張を聞く場を設けることなどが決まったが、解決の見通しはついていない。 両町はJR中央線の水道橋駅の南側の地域で、人口は計1663人(11月1日現在)。区内には「神田神保町」や「神田小川町」など神田のついた町名が26残る。 歴史をたどると、明治初期は「三崎町」「猿楽町」という町名だった。1947(昭和22)年、千代田区ができた際、「神田三崎町」「神田猿楽町」に。62年、郵便配達などの効率化を目的に施行された住所表示法を受け、区は64年、「神田冠称の不採用」を決め、67年に神田三崎町は三崎町に、69年に神田猿楽町は猿楽町になり、今に至る。 2004
国土地理院は19日、地図などで「奄美諸島」としていた表記を次回の刊行から「奄美群島」に統一すると発表した。 同院によると、法令や、現地の鹿児島県では「群島」が多く使われ、海上保安庁刊行の海図ではすでに「群島」と表記されている。このため、同院などの「地名等の統一に関する連絡協議会」が「奄美群島」を「決定地名」として採用したという。
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