タグ

historyとfailureに関するkenjiro_nのブックマーク (5)

  • 京都は40年前に路面電車を廃止した、大きな過ちだった

    <1895年に日初の市電が京都市に誕生し、その後、日最大の路面電車網となったが、今はもうない。世界各地で市街中心部への車の乗り入れを禁止しようという動きがあるが、京都の市電を復活させる手立てはないのか> 京都市を訪れる観光客は年間5700万人近くに上るが、その中で、この街がかつて日最大の路面電車網を誇りにしていたことを知っている人はごくわずかだろう。 京都は美しい街であり、日文化の中心だ。今年は明治維新から150年目を記念するさまざまな祝賀イベントが行われている。その一方で、祝賀気分は薄れるものの、京都の歴史におけるもう1つの出来事がある。「市電」の名で親しまれた路面電車網が全面廃止されてから、今年で40年目を迎えるのだ。 最近は世界各地で、市街中心部への車の乗り入れを禁止しようとする取り組みが目立つ。さらに、シドニーをはじめ、かつては広範囲の路面電車網を誇りにしていた多くの都市が

    京都は40年前に路面電車を廃止した、大きな過ちだった
  • 中国人から見た日本敗戦の「失敗の本質」(下)

    DOL特別レポート 内外の政治や経済、産業、社会問題に及ぶ幅広いテーマを斬新な視点で分析する、取材レポートおよび識者・専門家による特別寄稿。 バックナンバー一覧 ※(上)から続く 諶氏は、外交文書の、「日アメリカ・イギリスと連携してこそ、対ソ交渉を有利に進められたのだ。それとは反対に、日はイギリス・アメリカと反目し、結果的にソ連の威力に屈してしまった」というくだりを引用して、日のソ連利用は失敗だったと結論付けた。 第六に、ソ連を仲介とした戦争終結をやるべきではなかったという点。諶氏は、日戦争末期に行ったソ連を仲介とした終戦工作について、「直ちにアメリカ・イギリスに無条件降伏する意思を伝え、それを短期間で行うべきであった。ソ連に戦争終結の仲介を依頼するようなことは、最も愚かな政策である」や「もしもヤルタ宣言発表前にアメリカ・イギリスに降伏していたなら、ソ連の参戦やソ連が対日戦争

  • 愛おしき「ガラケー」 :投資十八番 

    独自の進化を遂げたという意味を込めて、枕詞「ガラパゴス」を付けられてしまう不名誉な製品があります。その筆頭格は携帯電話ですが、最近では略して「ガラケー(ガラパゴス携帯)」というらしい。私はiPhoneとガラケーの二台体制になって半年が経ちましたが、電話、おサイフケータイ、プライベートメールはガラケーを使い、その他(仕事用メール、スケジュール管理、ネット閲覧等々)はiPhoneを使うという棲み分けになっています。ガラケーはスマートフォンに比べて劣ると言われがちですが、機能面では独自進化の良さも確かにあるのです。私はガラケーに愛おしさを感じることがあります。それは、日が誇った「ゼロ戦」のストーリーと似ているからなのかもしれません。 大戦初期には、スピード、航続力、戦闘能力において世界最高水準を誇ったイノベーションでした。ゼロ戦は、攻撃力を増すために徹底的に軽量化されましたが、そのために稀

    kenjiro_n
    kenjiro_n 2010/07/01
    零戦とトムキャットの例を引き合いに出してガラケーを失敗した製品として紹介。この意見には半分同意するが今回はアップルという単体の敵なので事情が微妙に違う。
  • 日本的組織はなぜ同じ過ちを繰り返すのか - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)

    1939年の夏、モンゴルの大草原でソ連軍と日軍の戦車部隊が大衝突を起こした。ノモンハン事件である。これはモンゴルと満州国の間の国境線を巡る争いである。当時、モンゴルはソ連の、満州国は日の影響下にあった。 ノモンハン事件 - Wikipedia この争いで日・ソ連の両軍はそれぞれ数万人の死傷者を出す大きな損失をこうむった。停戦後確定した国境線は八割方、ソ連・モンゴルが主張する通りになり、日の敗北と言える。 もともと日軍が壊滅的な損失を受け、惨敗したと考えられていた。しかしソ連が崩壊し、1990年代から、ソ連側の資料が手に入るようになると、ソ連軍の損失も案外大きかったことが判明した。それを以って「実は日が引き分け以上の戦いをしていたのではないか」と主張する者もいるようだ。少なくとも日の現場の将兵たちは士気が高く果敢に戦ったのは確からしい。 だが、そもそも一体何のための戦いだったの

    日本的組織はなぜ同じ過ちを繰り返すのか - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)
  • どうして日本軍は真珠湾を攻撃したのか - 内田樹の研究室

    朝日新聞のイシカワ記者が取材に来る。 真珠湾攻撃について歴史的検証を行うという趣向である。 朝日新聞と日経済新聞には、前に原稿にアヤをつけられて「二度と書きません」と啖呵を切ったはずなのだが、違う部署の知らない記者から寄稿を頼まれると、因縁があったことをころりと忘れて「はいはい」と即答してしまう。 原稿を書いたあとになって「あ、いけね。朝日と日経には書かないことにしてたんだ」と思い出す、ということを何度か繰り返している。 困ったものである。 朝日と日経に書かないことにしたのは、この二紙のデスクが私の原稿に「書き直し」を要求したからである。 朝日は原稿を送る前に「社の方針に合わない内容なら書き直しを要求します」と言われた。日経は原稿を送ったあとに「・・・である」という断定を「・・・であると思う」(だか「・・・だと言われている」)に直せと言われた。 私はべつに両紙の社説を書いているわけではな

    kenjiro_n
    kenjiro_n 2009/11/26
    これもタイトルは枕。失敗を知らない人たちについての話。 id:entry:17542193 「何かにつけて言い訳する人の思考」と併せて読むと何か見えるかもしれない。
  • 1