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niconicoとcriticsに関するkenjiro_nのブックマーク (3)

  • 政治・政党は「ニコニコ超会議」に向いてないと感じた件 | おときた駿 公式サイト

    お知らせの通り2日間、「ニコニコ超会議3」に みんなの党ブースを展開させていただきまして、 ご来場いただいた&生放送をご覧下さった皆さま、ありがとうございました! ニコニコ動画プレミアム会員&元踊ってみたの踊り手として 大変思い入れのあるイベントですし、個人的には 楽しいことが多かった催しではあったものの。。 率直に言って、このイベントに公党(政党)が相乗りで ブースを出すのってどうなの?と感じてしまいました。 以下に、その理由をつらつらと述べます。 理由1. イベントとしてまだまだ未熟すぎる 「ニコニコ超会議3」ということで、今年で3回目。 政党が格的に参加するようになってまだ日が浅いのもあるとは思いますが、 今回の政党ブースの扱い(場所)はあまりにもひどいものでした。 なんとすぐ目の前に、格的な音響設備を備えた ダンス・演奏イベントを行うバリバリのステージ企画が乱立。。 案の定、オ

    政治・政党は「ニコニコ超会議」に向いてないと感じた件 | おときた駿 公式サイト
  • ボカロに興味がなくなったという話 - 日刊シュルる

    ボカロに興味がなくなったということを一応書いておく。 原因は2つある。 1つめ。 俺は2013年1月6日にこう書いた。 よくボカロのヒット曲は「全部同じ曲に聴こえる」と言われるが、これは音楽の諸要素自体とヒットとの間に密接な関係がある一つの(有力かどうかはわからないが)証拠だ。そこにおいて音楽の要素に何らかの意味があることがほのめかされれば、後はその要素がその社会の中での人々の身体とどう結びついているかを考えれば、音楽の要素と身体との関係が見えてくるはずだ。ニコニコ動画の自由競争システムがいつまで続くかわからないが、音楽の流行を自由競争によって作り出すことでリスナーの身体と音楽の諸要素との関係を人類史上初めて可視化したのがニコニコ動画だと俺は思っている。 http://d.hatena.ne.jp/knowsur/20130106/1357501201 ところが、俺が2013年6月4日にま

    ボカロに興味がなくなったという話 - 日刊シュルる
  • 東浩紀×川上量生 ハイコンテクスト文化となったニコ動はどう変わるべきか

    ニコニコ動画は2回くらい死んでいる――2011年9月10日放送の「ニコ生思想地図」では、「『おもしろい』をセカイに広めるには」というテーマで、批評家・作家の東浩紀氏とニコニコ動画を運営するドワンゴ代表取締役会長の川上量生氏が対談。コンテンツについて、歴史を参考にしながら分析を加えた。この対談はニコニコ動画の今後を考える上でも示唆的なものとなった。 ・[ニコニコ生放送]ニコ生思想地図 東浩​紀×川上量生 - 会員登録が必要 http://live.nicovideo.jp/watch/lv62772560?po=news&ref=news ニコニコ動画の立ち上げ当初、川上氏はその意義について何度も考えたといい、当時を振り返って、 「1日に7~8時間つないでいるユーザーって結構いるんですよ。それって日のGDPにはまったく貢献していないんですよね。ということは、日にとっては最悪のサイトなんじ

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