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policeとcultに関するkenjiro_nのブックマーク (4)

  • 警察に電話の平田容疑者「相手にされなかった」 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    1995年2月に発生したオウム真理教による目黒公証役場事務長、仮谷清志さん(当時68歳)拉致事件で、警視庁に逮捕監禁致死容疑で逮捕された平田信(まこと)容疑者(46)が12月31日、丸の内署に出頭する前、捜査を担当している大崎署に出頭しようとしていたことが、事件関係者への取材でわかった。 平田容疑者は同署に行ったものの、入り口がわからなかったため、東京・霞が関の警視庁部に向かい、その後、丸の内署に出向いたとみられるという。 また、出頭前には、オウム事件の情報提供を呼び掛ける警察のフリーダイヤルにも電話をしたが、「相手にされなかった」とも話しているといい、同庁は出頭に至るさらに詳しい経緯を調べている。

  • 警視庁発表、二審も違法 長官狙撃「オウムの犯行」:朝日新聞デジタル

    【小松隆次郎】1995年に起きた警察庁長官銃撃事件を「オウム真理教の犯行」と断定した警視庁の発表で名誉を傷つけられたとして、教団から派生した「アレフ」が東京都に損害賠償や文書での謝罪を求めた訴訟の控訴審判決が27日、東京高裁であった。加藤新太郎裁判長は「時効も完成したのに犯人を断定する説明は許されない」と指摘。一審に続き、都に100万円の賠償を命じた。 今年1月の一審・東京地裁判決は、100万円の賠償に加えて謝罪文の交付も都に命じた。だが高裁は、「一審判決の内容が報じられたことで一定程度、名誉は回復された」と判断。一審判決のうち謝罪文交付を命じた部分を取り消した。 警視庁は2010年3月、銃撃事件の時効成立を受けて捜査結果を公表。アレフと名指しはしなかったが、「オウム真理教の信者グループが松智津夫教祖(死刑囚)の意思の下に、組織的・計画的に敢行したテロだった」と断定する見解を明らかにした

  • オウムに敗訴!警視庁の大失態はなぜ起きたか(江川紹子) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    警察庁長官銃撃事件で、警視庁が時効成立の直後に「オウム真理教の犯行」と断定する発表をした件で、東京地裁は「アレフ」と名称変更した同教団の訴えを認め、損害賠償100万円の支払いと謝罪文の交付を東京都に命じる判決を出した。事件を解明できなかったうえ、このような結果を招いた青木五郎公安部長(当時)ら警視庁関係者の責任は、厳しく問われなければならない。 東京・桜田門の警視庁部オウムと結びつける証拠は見つからずこの事件は、地下鉄サリン事件が発生し、警察がオウムへの強制捜査を初めてまもなくの1995年3月30日朝に起きた。当時、オウムは捜査を撹乱するため、様々な事件を画策し、実際に宗教学者宅爆弾事件(3月19日)、教団部火炎瓶自作自演事件(同日)、新宿駅地下での青酸ガス事件(4月30日、5月3日、5日)、都庁爆弾事件(5月16日)などを起こした。長官銃撃事件も、当初、犯人はオウムだという仮説の下に

    オウムに敗訴!警視庁の大失態はなぜ起きたか(江川紹子) - エキスパート - Yahoo!ニュース
  • 「長官銃撃はオウムのテロ」警視庁が異例の発表 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    1995年3月に国松孝次・警察庁長官(当時)が銃撃された事件は30日、殺人未遂容疑の公訴時効(15年)が成立した。 捜査にあたった警視庁公安部の青木五郎部長は同日朝、記者会見に臨み、「事件はオウム真理教信者による組織的なテロと認めた」と述べて、時効が成立した事件としては異例の「所見」を発表した。 所見をあえて公表した理由について、青木部長は「教団は今も危険性が認められ、公益性があると判断した」と説明したが、教団の関与を裏付ける新たな証拠や供述が示されることはなかった。 「日午前0時をもって、時効に至りました」 この日午前9時に始まった会見の冒頭、青木部長は「警察トップへの卑劣なテロについて、時効を迎えたことは誠に残念」と沈痛な表情で深々と頭を下げたが、「(防犯カメラが整備された)今日の社会だったら犯人の痕跡を多くとらえられたはず」と、恨み節を漏らす場面もあった。 会見で報道陣に配布された

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