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societyとwotakuに関するkenjiro_nのブックマーク (10)

  • オタクやめたい

    気がついたら地雷だらけ。 ある作品のこと調べようとすれば、二次創作でオリジナル◯◯作って交流楽しんでる人達とかブスの馴れ合いコスプレとか目に入って気持ち悪い。じゃあ二次元はやめて三次元なら、と思ったら認知に必死になるオタクとか顔真似して元のファンからキャーキャー言われることで承認欲求満たしてる人とかいて気持ち悪い。 当はその作品を一人だけで楽しみたいのに、ユーザー連動型?ユーザーの意見が取り込まれるようなの多くて自分のしたい楽しみ方がなかなかできない。 コンテンツにちょっとでも自分を入れようとしてるオタクの存在に対する嫌悪感が半端ない。こっちは現実逃避のために夢見ようとしてるのに現実匂わせないで欲しい。自分に自信あるからそうやって作品に自分を捩込ませられるんだろうな。それなら作品の力借りないで自分だけで勝負してよね。あー、書きながらなんとなく、その嫌悪感が自分への自信のなさが理由で、自分

    オタクやめたい
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2015/07/03
    二次著作を視野の外に置きたいというのには割と共感できる。非公式情報を極力避けるネットライフを送るだけでだいぶ違うように思えるが。
  • 僕たちオタクは、ただ無我夢中で遊び続けるだけの「子供」から、世間との関わり合いの中で生きる「大人」へと成長する時期が来ているのかも知れない - 世界のはて

    Re:日はあらかじめ『意見の正当性』が『空気』『世間』によって決められており、そこから外れた意見は『意見』として考慮されない社会なので、オタクは常に負けを確約されている - この先、しばらく道なりです http://d.hatena.ne.jp/raf00/20100318/1268850437 お返事どうもありがとうございます。 いろいろ思うところがあったので、id:raf00さんの返信を読んで思ったことを、引用を交えつつ、つらつら書いてみます(前回書いた内容と重なる部分もありますが、ご容赦を)。 僕は正直なところ、オタクに外部に向かわせるのも、外部の人間の偏見を取り除くのも、正攻法では非常に難しい現状があると思っています。外部にオタクをアピールしようとする人間はこれまでもしばしば現れましたが、外部からは偏見のかかった紹介の仕方で笑い者にされ(TBSの初音ミク紹介番組等)、内部からも「

    僕たちオタクは、ただ無我夢中で遊び続けるだけの「子供」から、世間との関わり合いの中で生きる「大人」へと成長する時期が来ているのかも知れない - 世界のはて
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    今の自分は、出会った人や読んできたによって、できあがっている あの小冊子は、新聞の付録だったのか、記憶が曖昧で定かではないのだが、1ヶ月に1回程度の頻度で届いていた気がする。オールカラーで内容もさまざまだった気がする。その中には、プロ野球の選手名鑑もあって、私は、母から受け取り、大切にしていた記憶がある。母は、…

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  • 「オタク婚活」サイトが増加中 | スラド IT

    昨年、鷲宮神社で行われた「オタ婚活」イベントが大成功した件については /.J 記事でも報じられたが、この成功を受けてオタク男女を結びつける「婚活サイト」が増えているという (J-CAST ニュースの記事、japan.internet.com の記事より) 。 例えば今月正式運営を開始したオタク向け婚活サイト「アエルラ」ではアニメやゲーム、フィギュア、歴史、鉄道など特定テーマに絞ったお見合いパーティーを開催しているという。婚活業界においてはオタク趣味はタブーというのが常識なのだそうだが、初めから理解し合うことができる同志、もとい同士で結婚後もオタクライフを楽しみたいというニーズは多いようだ。 嫁が画面から出て来ないので、一緒に鑑賞するパートナーを探す人が増えているのかもしれない。

  • 生まれて初めて出会った「おたく」――80年代地域社会の記憶 - シロクマの屑籠

    私が生まれて初めてオタクに出会ったのは、小学生の頃だった。 育ったのは、人口数万人規模の地方都市の、市街地から大きく離れた集落である。隣近所の付き合いが盛んで、長い伝統を誇る神社を奉じ、どこにも知らない人間などいないような、濃厚な地域社会。それが私の故郷だった。 そういう生活空間というのは、大人達にとって“しがらみの多い場所”だったのかもしれない。しかし小学生の私には関係の無いことで、地域の大人達の見守りのもと、子ども仲間*1と群れながら、まずまず人間関係に恵まれた学童期を過ごせていたと思う。 「俺の兄貴は、祭りにも町の行事にも参加しないよ」 そんな話をクラスメートのA君から聞いたのは、小学校6年生ぐらいの頃だったと思う。 いわく、「うちの兄貴は地域行事にも祭りにも参加していないから、シロクマ君(注:筆者)は知らないんじゃないか。兄貴はゲームに詳しいから、今度うちに遊びに来てみなよ」。 確

    生まれて初めて出会った「おたく」――80年代地域社会の記憶 - シロクマの屑籠
  • somethingorange.net

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    kenjiro_n
    kenjiro_n 2010/02/26
    というのとはずいぶん距離があるようにみえる。
  • 引用に終始するサブカル好きが日本の文化を滅ぼす

    文化が、かなりマズい方向へと進み始めている。私はこれを止めなければならない。そのためにこれを書く。 まずはひとつの記事を紹介しよう。あまり人に広めたくないあまりにも醜悪な文章だ。 しかし、現代における様々な問題を見事に一点に凝縮しているので、思い切ってリンクする。 神聖かまってちゃん http://blog.livedoor.jp/hitoshione/archives/51007015.html このバンドのことを知ったのは漫画「モテキ」。 「モテキ」は毎回作者の久保ミツロウさんのセンス&チョイスで その回のテーマに近い楽曲名がそのままタイトルになっている。 例えば「格好悪いふられ方」とか「深夜高速」とか「ザ・ミーハー」とか「はっきりもっと勇敢になって」とか。 オレにはその絶妙なセンスがツボで 「おっ、大江千里か!」とか「フラカンね、はいはい」とか「森高かよ!」とか 「ついに岡村ち

    引用に終始するサブカル好きが日本の文化を滅ぼす
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2010/02/11
    「この言葉の意味を……あなたはわかるだろうか。わかっちゃいけないんだよ。」というのがよくわからん。俺個人としてはわかっちゃいるけどやめられない。
  • 【衝撃事件の核心】「鉄ヲタ専用車両でーす」暴走する一部鉄道ファンの行き着く果ては… (1/5ページ) - MSN産経ニュース

    JR南浦和駅に停車した、京浜東北線で最後の209系電車を撮影しようとする鉄道ファンら=平成22年1月24日午後(豊吉広英撮影 写真を撮ったり、遠くまで旅行したり、ダイヤを眺めたり…。こんなさまざまな楽しみ方がある鉄道。最近は女性の愛好家も増えるなど鉄道ファンの数は増加傾向にあるようだ。ただ、人気上昇にあわせるように一部でマナーが問われる事態も発生している。さらには単なる迷惑行為にとどまらず、犯罪としか言えないような行為も。多くの良心的なファンからは「鉄道を楽しむ場を自ら少なくする行為だ」と懸念する声が高まっている。彼らは、なぜ暴走してしまうのか−。(豊吉広英)ホームの先端にカメラの砲列 狙うは丸いヘッドマーク 1月24日、神奈川県と埼玉県の間を結ぶJR京浜東北線。平日なら通勤通学客で混雑するこの路線も土日祝日の昼間となれば、そう多くの乗客はない。日曜日のこの日も、多くの列車は閑散としていた

    kenjiro_n
    kenjiro_n 2010/02/08
    まあこういう悪行が周知されるのは良いことなんだろうけどそもそも悪行がなければ報道もされないわけで。
  • 想像の共同体その他 - Living, Loving, Thinking, Again

    「ネットキモウヨという人種」(=ゴミウヨクという下等生物)の持つ特異なナショナリズムの正体は、日常的なコミュニティから疎外された「不安な個人」たちにくすぶる自意識の燃焼に過ぎないものである。気持ちの悪いアニメヲタクがマンガやフィギュアの閉ざされた世界に引きこもっていくのと同じように、ネットキモウヨは民族/国家という「想像の共同体」へ寄りすがることで自らの不安や孤独を癒しているだけだ。したがって、「わざわざ組織を自ら立ち上げて社会にコミットしよう」などというハードルの高い事業へと参画するネット右翼は極めて少ない。彼らの運動が創価学会や朝鮮総連に死んでも勝てない理由は、ここにある。ネット右翼というのは、腐ったアニメヲタクと同種の生き物であり、正真正銘の社会のクズであり、いかにネットで愛国心を語り民族差別の卑劣な書き込みを続けようとも、現実社会には何の影響力も与えられない。(ただし、何かのきっか

    想像の共同体その他 - Living, Loving, Thinking, Again
  • 30代からの脱オタク

    オタクと一般人はそんなに違いは無い」 と言うのがオレの主張だ。 所謂「一般人」だって見た目に気を使ってない人間は多いし、オタクにだって見た目にちゃんと気を使ってる人間は多い。 フツーの人にだって「オタク的傾向」はあるし、オタクだってちゃんとフツーに社会生活を出来てる人間が殆どだ。 なのに、一方で「ダサオタク」等と叩かれる人間も居るし、オタク的な趣味や服装でも面と向かって叩かれない人間も居る。 その差は一体何なんだ・・・ 最近、その辺りの境界線というか分水嶺というか、そんなモノがおぼろげながら見えてきつつあるので、ココで一つその辺の雑感をまとめてみたいと思う。 例によって、あくまで「オレ個人の雑感」でしかないのであしからず。 結論から言うと 「人馴れしてるか、してないか」 の違いなのではないだろうか。 人馴れしてない人は、やはりその部分が顔なり態度なりに現れてる場合が多いような気がする。

    30代からの脱オタク
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2005/12/28
    「人馴れしてるか、してないか」→「オタクと一般人はそんなに違いは無い」というのにはちょっと同意できない。
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