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thinkingとChinaに関するkenjiro_nのブックマーク (4)

  • 中国人の語る中華思想とは

    十代の最後の頃、中国人の集まりにやめとけばいいのにモンゴル人の友人を招いたことがある。モンゴルからの友人は当然のように中国は内モンゴルを「返還」すべきだと言う。一方の中国人は猛反対し激しい論戦になった。 大学生のときに住んでいた寮の半分くらいは中国人で、私はよく彼らと酒を飲んだ。彼らはすぐに日戦争責任を追求するし、東アジアにおける中国の覇権について話していた。彼らは結構普通に「日中国の一部です」と言っていた。私は、まあ幾分かは困りながらも、そういう話になると熱くなるタイプだったので日の正当性を訴えたり、逆に謝ったりしたものだった。 そもそも半分くらいの中国人は日語を話さなかったし、私も私で英語で上手く話せなかった。それに中国人の人名を中国語風の発音できないのだから、細かい話なんてできるわけがなかった。まあ、それでも異文化交流として楽しかった。 知性ある彼らが中国教育とメディア

  • なぜ中国企業には独自の高級ブランド力がないのか

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    なぜ中国企業には独自の高級ブランド力がないのか
  • コデラノブログ4 : 「遊ぶ」という感性 - ライブドアブログ

    2010年05月06日10:38 カテゴリ雑談 「遊ぶ」という感性 昨日から引き続き、若者の消費について考えている。 昨日のエントリーでは、娯楽というか楽しみという事にフォーカスしてみたが、正直僕がそのような事を考えるには、資質が欠けていると言わざるを得ない。なぜならば僕には、人がいうところの「遊ぶ」というふわっとした行為というか表現が、よく理解できないからである。 1963年生まれの僕らの世代は、「新人類」と言われたファーストエイジである。今ではそう珍しくないことかもしれないが、僕らの世代から以降、1年生まれが違うごとにものの価値観が全然違う、と言われ始めたのである。 そうは言っても、九州の田舎に育ったものだから、僕の価値観は多分に旧人類の感覚であろう。23歳の時に2歳年下の女の子と付き合ったが、彼女の「遊ぶ」という感覚に馴染めず、結局は上手く行かなかった。 当時の「遊ぶ」とは、「人に金

  • <在日中国人のブログ>日本人はなぜ、拾ったものを猫ばばしないのか?|レコードチャイナ

    8日、孔子の第75代直系子孫で日中関係評論家の孔健氏は「日人はなぜ拾ったものをばばしないのか?」と題した記事を発表した。写真は7日に江蘇省淮安市で開かれたお金を拾って届けた人が逆に訴えられた裁判。最終的に和解が成立した。 2009年12月8日、孔子の第75代直系子孫で日中関係評論家の孔健(こう・けん)氏は、「日人はなぜ拾ったものをばばしないのか?」と題した記事を中国のブログサイトに発表した。以下はその概略。 【その他の写真】 20年以上も日で暮らしているが、日はつくづく「安全」で「安心」な国だと思う。日では物を落としても必ず持ち主に戻ってくるからだ。私自身も失くした携帯電話が戻って来た経験があるし、知り合いの中華料理店の店長などは大金が入った財布を8回も落として、8回ともそっくりそのまま戻ってきている。 これが中国だったら、まずあり得ない。中国では反対に、ほんのわずかな隙に物

    <在日中国人のブログ>日本人はなぜ、拾ったものを猫ばばしないのか?|レコードチャイナ
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2009/12/12
    中国では一定期間を過ぎた拾得物が発見者のものになる仕組みがないのか。
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