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ブックマーク / app.k-server.info (177)

  • 長篠の戦いで織田信長が武田勝頼に圧勝できたワケ

    織田信長は1575年に、長篠で武田勝頼と戦って大勝利を収めました。 それまで武田軍は信長と、同盟者の徳川家康の前に強敵として立ちふさがっていましたが、この一戦によって優れた将兵を数多く失い、衰退の道をたどることになります。 この文章では、どうして信長と家康は武田軍を打ち破ることができたのか、について書いてみようと思います。 【長篠の戦いで大勝利を得た織田信長】 当時の信長の勢力信長は1568年に上洛を果たした後、将軍・足利義昭の策謀によって周囲が敵だらけとなり、重大な危機に陥りました。 しかし、1573年に武田信玄が病死したことをきっかけに状況を覆します。 足利義昭を京から追放し、浅井・朝倉氏を攻め滅ぼし、謀反を起こした松永久秀を屈服させ、包囲網を打破して勢力を拡大しました。 この結果、信長の領地は400万石に達し、総兵力は10万以上となっています。 さらに、西に国境を接する勢力は波多野、

    長篠の戦いで織田信長が武田勝頼に圧勝できたワケ
    kenjou
    kenjou 2016/10/03
    歴史の読み物を更新しました。今回は長篠の戦いについて詳しく書いています。全部で7,000字以上ありますが、よかったらどうぞ。
  • 徳川家康はどうして大坂の陣で豊臣秀頼を滅ぼしたのか?

    徳川家康は1615年、大坂夏の陣と呼ばれる戦いで豊臣秀頼を滅ぼしました。 家康が天下人になったのは1603年のことで、それから約10年の間、豊臣家を臣従させようと試みるなどしていましたが、最終的にはその血を絶やしてしまっています。 この文章では、家康がどうして豊臣家を滅ぼすに至ったのか、その過程について書いてみます。 【江戸幕府の基盤を築いた徳川家康の肖像画】 関ヶ原の戦いに勝利する家康は豊臣秀吉の死後、天下分け目の戦いである関ヶ原の戦いに勝利し、征夷大将軍に就任しました。 そして江戸に幕府を開き、日全土の統治体制の構築を進めていきます。 全国の大名を従え、江戸を発展させ、後に264年も続く徳川家の支配を確立することになるのですが、そのための障害になるのが、豊臣家の存在でした。 豊臣秀吉はかつて関白の地位について天下人になり、家康の前に日の支配者になっていました。 その時代には家康も秀

    徳川家康はどうして大坂の陣で豊臣秀頼を滅ぼしたのか?
    kenjou
    kenjou 2016/09/29
    歴史の読み物を更新しました。今回は家康と秀頼についてです。7,000字行ってないのでやや短め(?)です。
  • 石田三成はどうして関ヶ原の戦いで徳川家康に敗れたのか?

    石田三成は豊臣秀吉の死後、豊臣政権を守るために徳川家康に戦いを挑みます。 そして10万を超える軍勢を集めることに成功し、関ヶ原で家康と、有利な状況を作った上で対峙します。 しかし三成は、ついにこの戦いに勝利することはできませんでした。 この文章では、いかにして三成は家康に敗れたのか、について書いてみます。 【西軍を組織した石田三成の肖像画】 秀吉の死と家康の台頭1598年に当時の絶対的な権力者であった豊臣秀吉が死去すると、それまで秀吉に抑え込まれていた諸大名が勝手な行動を取るようになっていきます。 秀吉の死によって最大の実力者となった家康は、自らの手で天下を制すべく活動を開始します。 まずは味方を増やすため、伊達や黒田らの諸大名との間に婚姻を結び、自勢力の拡大を図ります。 これは秀吉の遺命によって禁止されていましたが、家康はその命令への誓約を堂々と破ったことになります。 家康は豊臣家の主で

    石田三成はどうして関ヶ原の戦いで徳川家康に敗れたのか?
    kenjou
    kenjou 2016/09/25
    歴史の読み物を更新しました。今回は石田三成と徳川家康の対決についてです。全部で1万字以上ありますので分割しています。
  • 毛利勝永 大阪の陣で輝いたもう一人の勇将

    毛利勝永は豊臣秀吉の家臣で、「大坂夏の陣」の戦場で大活躍した武将です。 この時に活躍した武将の中では真田幸村(信繁)が最も有名ですが、勝永もそれに劣らぬ働きを見せています。 この文章では豊臣家に仕え、その最後を見届けた武将について書いてみます。 森から毛利へ毛利と言えば中国地方を支配していた毛利氏のことが思い浮かぶかと思いますが、毛利勝永はこの毛利氏の一族ではありません。 もともとは森(もり)という姓でしたが、勝永の父・吉成が毛利氏のところに人質として赴いたことがきっかけになり、姓を変更することになります。 森吉成は長く秀吉に仕え、母衣衆という精鋭部隊に属したこともある優れた武将です。 能寺の変の直後に羽柴秀吉と毛利輝元が和睦し、その証人として毛利家の元に送られていました。 そして人質という立場でありながらも、吉成は輝元に気に入られ、毛利(もうり)の姓を名のったらどうかと勧められました。

    毛利勝永 大阪の陣で輝いたもう一人の勇将
    kenjou
    kenjou 2016/09/19
    歴史の読み物を更新しました。今回は知られざる武将についてです。
  • 井伊直虎 井伊氏の当主となり、直政を守り育てた女性の生涯について

    井伊直虎は激しい動乱が続く戦国時代に、女性でありながら一族の当主となり、滅亡の危機に瀕していた井伊氏を存続させることに成功した人物です。 井伊氏は遠江・浜松湖近くの井伊谷を500年に渡って支配していた国人領主で、駿河の今川義元の勢力に属していました。 直虎はその井伊谷の城主・井伊直盛の娘として誕生しています。 生まれた年ははっきりとしていませんが、1536年頃だったと推定されています。 従兄弟との婚約父・直盛には娘の直虎の他に子がいなかったため、親族から男子を養子に迎え、後継者にすることにします。 そしてこの時に選ばれたのが、直虎の従兄弟の井伊直親でした。 しかしこの従兄弟の父(つまり直虎の叔父)が、1544年に今川義元への謀反の疑いをかけられ、自害させられてしまいます。 この時に今川義元に偽りの告げ口をしたのは、小野道高という井伊氏の家老でした。 小野道高は家老という立場でありながら、主

    井伊直虎 井伊氏の当主となり、直政を守り育てた女性の生涯について
    kenjou
    kenjou 2016/09/13
    ブログを更新しました。来年の大河の主人公を取り上げてみました。
  • 黒田と新井の最高の結末

    kenjou
    kenjou 2016/09/12
    カープの優勝に便乗…感激してブログを始めました。
  • 「Single Todoリスト」をリリースしました – アプリ・ゲーム開発室

    kenjou
    kenjou 2016/09/08
    Todo/メモアプリをリリースしました。機能は多くありませんが、あると便利なやつです。
  • 韓信 劉邦に天下を取らせた国士無双の大将軍

    韓信かんしんは劉邦りゅうほうに仕えて大将軍となり、楚漢戦争の勝敗を決定する重要な役割を担った武将です。 卓越した作戦能力を持ち、戦えば常に勝利をおさめ、『国士無双(比べられる者がいないほど優れた者)』と呼ばれるにふさわしい人物でした。 しかし劉邦が天下を統一して漢の皇帝となってからは、その能力と領土の大きさから警戒されるようになり、最後は謀反を企てるものの、失敗して処刑されてしまいました。 この文章では、そんな韓信の生涯や事績について書いてみます。 【韓信の肖像画】 韓信は臆病な怠け者と見られていた韓信は淮陰わいいんという水辺の街の、貧しい家に生まれました。 家産がなく、品行もよくなかったために職につけず、毎日ぶらぶらとして若い時期をすごしていました。 やむなく韓信は亭長ていちょう(街の治安を担当する役人)のところに居候をし、長い剣一だけを携えて無頼の暮らしをしていました。 しかしある時

    韓信 劉邦に天下を取らせた国士無双の大将軍
    kenjou
    kenjou 2016/08/08
    ブログを更新しました。戦国時代以外にも話題を広げてみました。
  • 彼女は世界を壊したい

    kenjou
    kenjou 2016/06/30
    久しぶりに小説を書きました。7000字くらいの短編です。
  • 今川義元 東海から天下をうかがった「海道一の弓取り」

    今川義元は桶狭間の戦いにで織田信長に討たれ、その躍進のきっかけを作った人物として知られています。 言わば信長の引き立て役となってしまったわけですが、それまでは「海道一の弓取り」と呼ばれ、大きな勢力を築くことに成功した、優れた武将であると見なされていました。 この文章では、そんな今川義元の生涯について書いてみます。 【江戸時代に描かれた義元の武者絵】 誕生後、仏門へ今川氏は将軍家である足利氏の分家にあたる家柄で、代々駿河(静岡県東部)の守護職を務めていました。 正確に言うと足利氏の分家に吉良氏があり、今川氏はさらにその分家である、という関係になっています。 室町幕府を開いた足利尊氏の時代に戦場で活躍し、各地の守護に任じられるなどして勢力を築きました。 こうした守護大名たちは、戦乱が続くにつれその多くが没落していきましたが、今川氏は戦国大名としての統治体制を整えるなど時代の変化に対応することで

    今川義元 東海から天下をうかがった「海道一の弓取り」
    kenjou
    kenjou 2016/06/21
    ブログを更新しました。今回は今川義元についてです。
  • 伊達政宗 戦国の終わりを生きた、奥羽の「独眼竜」

    伊達政宗は戦国時代の末期に登場した武将で、奥羽(東北地方)を席巻し、伊達氏の最大勢力を築きました。 しかし政宗が活躍し始めた頃には、すでに豊臣秀吉という日全国に影響を及ぼせる大勢力が登場しており、彼の野心はそういった天蓋からの制限を受けることになってしまいます。 この文章では「最後の戦国大名」とも呼べる伊達政宗について書いてみます。 【伊達政宗の肖像画】 伊達氏は古くから陸奥を支配する大名だった伊達氏の歴史は古く、遠く鎌倉時代から出羽や陸奥の国(山形・秋田県のあたり)で勢力を誇っていた名族です。 戦国時代は「下克上」の言葉で知られる通り、古くから続く家柄の大名は時代の変化についていけず、そのほとんどが没落していました。 しかし東北地方では伊達氏を始め、最上氏や南部氏などのいくつかの古い家柄がその勢力を保っています。 それだけ土地柄が保守的だったのだとも言えるでしょう。 また、それぞれの豪

    伊達政宗 戦国の終わりを生きた、奥羽の「独眼竜」
    kenjou
    kenjou 2016/04/28
    今回は伊達政宗について書きました。
  • ロマンシングサガ2はやっぱり面白かった

    kenjou
    kenjou 2016/04/18
    久しぶりにゲームの感想を書きました。ロマンシングサガ2についてです。
  • 長宗我部元親 土佐から四国統一を目指した「鳥無き島の蝙蝠」の生涯について

    長宗我部元親は戦国時代に四国制覇の野望を抱いて活躍した武将です。 しかし四国全土を手の内に収めたかと思ったまさにその時、中央から強大な勢力の侵攻を受け、その達成を阻まれてしまいます。 元親は幾度も降伏勧告を受けましたが、天下を手中に収める野心を抱いていたため、これを受け入れることはありませんでした。 この文章では、野心に駆り立てられて生きた、元親の生涯について書いてみます。 【四国から天下を目指した長宗我部元親の肖像画】 長宗我部氏は土佐の一領主に過ぎなかった長宗我部氏は土佐(高知)の七分の一程度を支配する小大名でしたが、元親の祖父の代に周辺の領主たちに攻めこまれ、領地を失っています。 その後、元親の父・国親は土佐在住の公家である一条氏のとりなしにより、領地を返還されます。 このことから見ても、長宗我部氏は土佐の中で際立って強い勢力であったとは言えません。 元親はその長宗我部氏の当主として

    長宗我部元親 土佐から四国統一を目指した「鳥無き島の蝙蝠」の生涯について
    kenjou
    kenjou 2016/04/17
    久々に歴史ブログを更新しました。今回は長宗我部元親についてです。
  • フィットネスバイク「フィットクイック」を買ってみました

    kenjou
    kenjou 2016/04/09
    久々に自分のブログをせっせと更新しています。
  • 「Disney クロッシーロード」は遊びのパターンが増えていました – アプリ・ゲーム開発室

  • スマホアプリ「計算機++」で、割引計算がワンタッチでできるようになりました – アプリ・ゲーム開発室

    先日「計算機++」をアップデートし、新しくワンタッチで割引計算ができる機能を追加しました。 以下は使い方の紹介です。 割引計算のしかた まず割引計算をしたい数字(ここでは例として10,000)を入力します。 そして画面の上部にある、ギザギザした枠に囲まれた「%」ボタンをタッチします。 すると5%きざみの割引計算ボタンが表示されます。 ここでたとえば「-30%」のボタンを押すと、すぐに3割引の計算結果が表示されます。 このように、ワンタッチでさくさくと割引計算ができるようになりました。 答えの下に(10,000-30%)の補足テキストが表示されるので、どのような計算の結果なのかがわかるようになっています。 式でまとめて割引計算 複数の商品の価格を入力し、まとめて割引計算をすることもできます。 たとえば「3,500+2,500」と入力し、「-20%」のボタンを押します。 するとまず「3,500

    スマホアプリ「計算機++」で、割引計算がワンタッチでできるようになりました – アプリ・ゲーム開発室
    kenjou
    kenjou 2016/02/26
    計算機アプリをアップデートしました。機能を追加して、けっこう便利に使えるようになったと思います。
  • 「タッチで花火!」で使う花火のパーティクルのカラーバリエーションを増やしてみました – アプリ・ゲーム開発室

    kenjou
    kenjou 2016/02/24
    制作がけっこう進みました。
  • 「Touch Fireworks」(タッチで花火!)を開発中です。 – アプリ・ゲーム開発室

    kenjou
    kenjou 2016/02/22
    開発中のゲームに関する記事です。漂う季節外れ感…!
  • 「計算機++」がApp Storeでランクインしました! – アプリ・ゲーム開発室

    kenjou
    kenjou 2016/02/13
    初めて作ったアプリ、「計算機++」がランクインを果たしました。といっても掲載順位はギリギリなんですが…。
  • Unityで計算機アプリを作ってみました – アプリ・ゲーム開発室

    kenjou
    kenjou 2016/02/11
    主にゲームエンジンとして使われる「Unity」で作った計算機アプリの制作について書いた記事です。作ろうと思えば作れるもんです。