織田信長は1575年に、長篠で武田勝頼と戦って大勝利を収めました。 それまで武田軍は信長と、同盟者の徳川家康の前に強敵として立ちふさがっていましたが、この一戦によって優れた将兵を数多く失い、衰退の道をたどることになります。 この文章では、どうして信長と家康は武田軍を打ち破ることができたのか、について書いてみようと思います。 【長篠の戦いで大勝利を得た織田信長】 当時の信長の勢力信長は1568年に上洛を果たした後、将軍・足利義昭の策謀によって周囲が敵だらけとなり、重大な危機に陥りました。 しかし、1573年に武田信玄が病死したことをきっかけに状況を覆します。 足利義昭を京から追放し、浅井・朝倉氏を攻め滅ぼし、謀反を起こした松永久秀を屈服させ、包囲網を打破して勢力を拡大しました。 この結果、信長の領地は400万石に達し、総兵力は10万以上となっています。 さらに、西に国境を接する勢力は波多野、