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ブックマーク / gitanez.seesaa.net (9)

  • デザインという思考の型から逃れる術があるのか?: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 最近、デザインとは「思考の型そのものである」と考えるようにしています。 しかも、その思考の型は決して特別なものではなく、むしろ、現代に生きる僕たちはデザインという思考の型以外で考えられなくなっている。僕はそう考えるようになりました。 昨今、「デザイン」という概念の重要性が増し、誰もがその力を身につけようと方法論や事例をかき集める風潮がみられますが、この僕の観点からいえば、�むしろ僕らはデザインという型を使わずに考えることができないのだから、当に願うべきはデザイン力を身につけることではなく、いかにしてデザインという思考の型に無意識のうちに縛られている自分を自覚するか、デザインという思考を当の意味で認識対象にするかということではないかと思うのです。� 僕らはみな、デザイン力

    デザインという思考の型から逃れる術があるのか?: DESIGN IT! w/LOVE
    kenzy_n
    kenzy_n 2014/11/21
    姿はかわる
  • 文学とテクノロジー/ワイリー・サイファー: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 テクノロジーが、世界でいま起こっていることの直接の現場へと人間が参加することを妨げる。 方法が、問題に正面から立ち向かおうとする人間にとって最大の障壁となる。 テクノロジーと方法は、そんな風に人を世界から疎外された存在としてきた。 科学においても、芸術においても…。 ワイリー・サイファーの『文学とテクノロジー』というは、19世紀における行き過ぎたテクノロジー主義、方法主義が芸術家たちをいかに現実から引き離すことになったかというテーマを追った一冊です。 前回の「マニエラ(技法)の核心 ~僕らは結局、自分たちのこれからをスケッチしながら作っている、この「世界史的な危機のさなか」において~」という記事では、まさにサイファーが『文学とテクノロジー』のなかで扱っているのと同様の「技

    文学とテクノロジー/ワイリー・サイファー: DESIGN IT! w/LOVE
  • ユーザー調査とユーザビリティ評価の違い:DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 ユーザーがある製品をどんな風に使っていてどんな潜在的なニーズを抱えているかを調べることと、ある製品のデザインにユーザーが使う上でどんな問題点があるかを調べることでは、調査の目的ははっきり異なります。 「ユーザー調査とユーザビリティ評価を混同しない」というエントリーでも指摘しましたが、前者はユーザー調査であり、後者はユーザビリティ評価です。 ユーザーの現実と現実のモノしかし、前回も書きましたが、どうもこの両者は実際のユーザーを呼んで調査を行うということから混同されやすかったりします。 お客さんがユーザーテストをやりたいというのでお話をうかがうと、実はデザイン評価のためのテストではなく、ニーズを探るためのユーザー調査だったりということがよくあります。 どう説明したらよいかはいつ

  • なんでヒトはコンピュータが動かないからといって文句を言ったりするの?(本当の意味での人間中心のデザイン): DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 動かない/動きが遅いコンピュータに対してイライラしたり、ひとりでコンピュータに向かって文句を言ったり、ひどい場合は机をバン!と叩いて怒ったりした経験は誰にも一度くらいはあるのではないでしょうか? コンピュータじゃなくてもそうですよね。意図したとおりに機械(たとえば自動販売機とか)が動作してくれなかったりしたときには、つい文句を言ってしまったりします。 個体における心の発達でも、それっておかしいよね。 だって、僕らはそれが機械だということを知っている。機械が人間の言葉を理解しない存在だということもわかっている。 認知科学の研究では、ヒトは生まれてから3ヶ月~6ヶ月で生物的なものの動きをその他のものの動きと区別できるようになり、6ヶ月~9ヶ月では生物以外の物体や自動で動くような

    kenzy_n
    kenzy_n 2007/07/11
  • 成功の障害としての「わかってるつもり」: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 わかってるつもりから如何に抜け出すか? 何事を行うにもそれがキモではないかと思います。 文脈の交換によって、新しい意味が引き出せるということは、その文脈を使わなければ、私たちにはその意味が見えなかっただろうということです。すなわち、私たちには、私たちが気に留め、それを使って積極的に問うたことしか見えないのです。それ以外のことは、「見えていない」とも思わないのです。 西林克彦さんの『わかったつもり 読解力がつかない当の原因』というをずいぶん前に紹介しましたが、「わかったつもり」がまったく「わからない」状態以上に知識を取得する上での障害になるのはなぜなのかを説明し、そこから抜け出すための方法について書かれたです。 文脈=コンテキストを知るためのフィールドワーク、コンテキス

  • ユーザー行動シナリオは最初のデザイン: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 ペルソナ/シナリオ法の肝は、実はペルソナのほうじゃなくてシナリオのほうだと僕は考えています。 どうしてもペルソナのほうばかりに気をとられがちですけど、要はいかにユーザーの行動シナリオをリアルに描けるかどうかです。 観察(オブザベーション)深澤直人さんの著書『デザインの輪郭』のなかに、「without thought」というワークショップで「観察(オブザベーション)」に関する課題の話が出てくるのですが、この例も行動シナリオを描くというデザイン行為の必要性をあらためて感じさせてくれるものです。ゼリーをべるところを観察する例です。 最初はほとんど全員が、1、スプーンを持ち、2、容器の蓋を開け、3、ゼリーをすくい、4、口に運び・・・、というように、まるで頭で想像したかのように単純

  • 「ユーザビリティ=使いやすさ」なんて誤訳をいつまで放置するのか?: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 さてさて、ここ最近のエントリー(「答えはユーザーが知っている」など)では、奥出直人さんの『デザイン思考の道具箱―イノベーションを生む会社のつくり方』、トム・ケリーの『発想する会社! ― 世界最高のデザイン・ファームIDEOに学ぶイノベーションの技法』を読み進みつつ、デザインによって「イノベーション」を生み出す「デザイン思考」「デザイン戦略」という考え方、それを実現するための「創造のプロセス」、そして、実際のプロセスの中で使われる「フィールドワーク」「プロトタイプ」「ユーザーテスト」「ブレインストーミング」などの手法を紹介してきました。 社会に新しい価値をもたらすイノベーションを技術ではなくデザイン思考で創造することを目指し、そのためにユーザー中心のデザイン・プロセスで、観察

    kenzy_n
    kenzy_n 2007/03/12
  • 普段から効率よく答えを見つけられるようになる方法:DESIGN IT! w-LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 いわゆる企画屋なんてことを仕事にしていると、十分な情報が得られない状態でも何かしらのプランを提示しなくてはいけないことがままあります。 普段から効率よく答えを見出せる準備をしておかないと、いざという時に最低限のアウトプットさえ出せません。 では、どうすれば、普段から可能な限り効率よく答えを見つけられるようになるか。 人それぞれ、独自のやり方があると思いますが、僕自身はそのための準備としてこんなことをしています。 1.普段から問題を設定し、構造化しておくいつどんな答えを求められるかわからない状況に対処できるようにするには、普段、なんでもないときにでも、自分でさまざまな問題設定をしておくことが大事だと思っています。 自分と付き合いがある人からどんな問題が出てきてもそれなりには対

    kenzy_n
    kenzy_n 2007/02/24
  • 僕がWebやブログを見ていて悲しくなる7つの場面:DESIGN IT! w-LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 こんなときは涙が出そう。 1.「所詮、○○だからねw」とかという記述をみつけたときごめん。それで何かを言った気になっているのでしょうか? いまどきニヒルを気取ってでもいるのでしょうか? というか、そういう他人を見下した態度するあなたはどなた?と感じます。 2.他人のブログへの批判的なコメントが完全に手のひらにのっちゃってるとき誰かが他の人のブログに批判的なコメントをしているんだけど、それが批判対象となっている人が書いている内容にすでに織り込まれていて、完全に相手の手のひらの中で遊ばれちゃってる状態なのを見つけたとき。それ、懸念事項に含まれてるよ、なんで批判するならもっと脳みそ使ってからにしなかったのかなって感じちゃいます。 3.エントリー内の文章の比率として言い訳がかなりの

    kenzy_n
    kenzy_n 2007/01/23
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