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ブックマーク / www.refugee.or.jp (4)

  • 冷戦下の代理戦争から東京の生活戦争へ。シャン民族料理店「ノングインレイ」スティップさんの人生|ニッポン複雑紀行

    東京メトロの広告や人気テレビシリーズ『孤独のグルメ』にも登場するシャン民族料理の有名店「ノングインレイ(NONG INLAY)」(東京・高田馬場)。 だが、現在72歳のオーナー、ハンウォンチャイ・スティップさんが日で暮らすことになった理由までよく知る人は多くないかもしれない――。それは、冷戦下に大国間の代理戦争の現場ともなった「ラオス内戦」だった。 ベトナム戦争の影に隠れてあまり知られていないが、ラオスは「史上最も空爆された国」とも言われ、当時の米軍によって2億6000万発もの爆弾が投下されたという。ラオス内戦はベトナム戦争と同じ1975年に終結し、左派のパテート・ラオが勝利、アメリカが支援した王政側の敗北に終わった。 そんなラオス内戦にスティップさんはどう関わっていたか。実は、米軍やCIAの通訳として従事していたのだ。それは彼にとって「内戦の終結(敗北)」が自らの「命の危機」であったこ

    冷戦下の代理戦争から東京の生活戦争へ。シャン民族料理店「ノングインレイ」スティップさんの人生|ニッポン複雑紀行
    kenzy_n
    kenzy_n 2020/08/27
    こちらのお店のシャン風納豆チャーハンはとても美味しい。昆虫やカエル系のメニューにもチャレンジしてみたい。
  • イスラム移民の暮らしに溶け込む。「ジャシム一家」と過ごした5年間|ニッポン複雑紀行

    35歳以下の若手写真家に贈られる「三木淳賞」。第20回の今年は、ニッポン複雑紀行の写真をいつも撮ってくださっている田川基成さんが『ジャシム一家』という作品で受賞しました。『ジャシム一家』は、田川さんが2012年から千葉のバングラデシュ人家族に密着して撮り続けているドキュメンタリー写真のシリーズです。 今回のニッポン複雑紀行は特別篇。無名の、市井の、6人の移民家族と共に過ごした5年間を、田川さん自身に5年分の写真と共に振り返っていただきました。お父さんの代わりに長男の入学式に行くまでジャシム一家の生活に溶け込んだ田川さん。彼がファインダー越しに見つめ続けた移民家族の日常をぜひご覧ください。これからの日を静かに映し出すリアリティのかけらがそこにあります(編集部)。 バングラデシュから千葉へ こんにちは。写真家の田川基成と申します。ニッポン複雑紀行で、よく撮影を担当させて頂いています。 今回は

    イスラム移民の暮らしに溶け込む。「ジャシム一家」と過ごした5年間|ニッポン複雑紀行
    kenzy_n
    kenzy_n 2018/11/29
    日本に住まれているバングラデシュの方の生活を写す
  • 宮城や福島で炊き出し100回、なぜならそれがジハードだから。被災地でカレーをふるまい続けたムスリムたちの話|ニッポン複雑紀行

    宮城や福島で炊き出し100回、なぜならそれがジハードだから。被災地でカレーをふるまい続けたムスリムたちの話 大塚にある細長いモスク JR大塚駅から徒歩5分ほど、商店街を抜けたところにその小さなモスクはある。「マスジド大塚」だ。「マスジド」とはアラビア語でモスクを意味する言葉。モスクはムスリム(イスラーム教徒)のための礼拝所である。このマスジド大塚が創立されたのは2000年のことだ。 私が初めてこの場所を訪れたのは4年前のこと。持ち金が尽き、泊まる場所がなくなったナイジェリア出身の難民申請者がモスクでお世話になっていたときのことだった。その日は外国から来た難民だけでなく、日人のホームレスの方たちもモスクで寝泊まりしていた。 マスジド大塚。小さなドームとミナレット(尖塔)が目印 モスクというとトルコの「ブルーモスク」のような豪華絢爛なイメージもあるが、マスジド大塚は質素なつくりをしている。横

    宮城や福島で炊き出し100回、なぜならそれがジハードだから。被災地でカレーをふるまい続けたムスリムたちの話|ニッポン複雑紀行
  • 駅に来たら、母語が聞こえる。前代未聞の24ヶ国語アナウンスを始めた駅長が実現したかったこと|ニッポン複雑紀行

    新大久保は「韓流だけじゃない」 韓流の街というイメージが強い新大久保。しかし、駅から一歩出ればもっと「複雑」であることに気づく。行き交う人たちの出身国は2〜3ヶ国では済まなさそうだ。 街頭の看板も日語、韓国語、英語に加えて、ネパール語やベンガル語らしきものが並んでいる。色やデザインも独特だ。 驚いたのは、駅構内の多言語アナウンス。なんと24ヶ国語で、「事故防止のために、階段や通路は右側を歩いてください。階段は止まらずに進んでください」と流れている。駅構内の様子を実際に音声付きの動画で撮影してきたので一度聞いてみてほしい。 【動画】新大久保駅のアナウンス(クリックして再生) この多言語アナウンスは2015年に始まったという。前代未聞の24ヶ国語アナウンスを導入した当時の駅長、阿部久志さんに、取り組みのきっかけや狙いについて話を聞いてみた。 阿部久志さん。JR新大久保駅の前駅長(2012-2

    駅に来たら、母語が聞こえる。前代未聞の24ヶ国語アナウンスを始めた駅長が実現したかったこと|ニッポン複雑紀行
    kenzy_n
    kenzy_n 2017/12/06
    色々な国から色々な人がやって来て色々なコミュニティーが出来上がっていく。
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