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批評とSFに関するkeshikiのブックマーク (2)

  • 『日本SF論争史』巽孝之編 - ゼロセットの日記とか

    人によるSF評論のアンソロジーだが、論争に関わった論文だけを集め、そこからSF歴史を俯瞰する、という方針で編集されている。評論集でありながら、日SF大賞を受賞した大作(値段も5000円超!)。年代も発表媒体もバラバラな論考が集められているものの、様々な論者によって小松左京、ハインライン、そして安部公房への評価が繰り返しリフレインされ、全体を通す芯のようになっているのが面白い。 それにしても、ここまで自らの定義について議論を繰り返してきたジャンル文学というのは、他に無いかも知れない。まさに論争がSFを育んだ、というところか。ただ正直な所、今の自分の意識としてはこの自意識過剰ぶりが、ちょっとうっとおしい。ニューウエーブ論争あたりは特にそう感じるのだが、これらの論文がかもし出してる「雰囲気」に、とても辛いものを感じてしまう。個々の作品やニューウェーブ運動総体の成果としては評価するのだけれ

    『日本SF論争史』巽孝之編 - ゼロセットの日記とか
  • 愛・蔵太の少し調べて書く日記 - 本や映画の批評は知識のない「自分語り」レベルじゃ単なる「感想」だよ

    アカデミズムの人たちが映画について語っているテキストはなぜかたいてい退屈で、それは高校生ぐらいまでのときはぼくの頭が悪いせいなんだろうと思っていたんですが、小林信彦とか石川喬司とか双葉十三郎とか和田誠といった人たちの作品レビューを読んで、「アカデミズムな人は、数少ない読んだで自分語りをしたいだけなんだ」ということがわかりました*1。狭い穴(深いことは深いけれども)と少ない素材(素材的には美しかったり新しかったりするけれども)で、自分たちの知識の乏しさを隠している。ぼくは人の話を心のこもらないやりかたで聞くのは嫌いではないのですが、十分な知識と斬新な見方で何かを言ってくれる人のほうが興味深いわけです。 ええと、あんまりいい例が思い浮かばないんだけど、SFマガジンという、今では日でひとつしかないSF*2雑誌がありまして、1960年代は福島正実という人が編集長でした。小松左京や筒井康隆

    愛・蔵太の少し調べて書く日記 - 本や映画の批評は知識のない「自分語り」レベルじゃ単なる「感想」だよ
    keshiki
    keshiki 2006/11/09
    感想なんだ、という自覚を持って書くべきじゃないかと思います。/アンケート至上主義というのは案外利に適っているのかも知れない。
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