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2006年9月23日のブックマーク (2件)

  • 満身創痍で柳生宗矩観の変遷を考えてみたメモ - 時代伝奇夢中道 主水血笑録

    mixiの方で某氏から「柳生宗矩に黒いイメージがつきまとうようになったのはいつからなのか?」という疑問が提示されているのですが、これは「霧隠才蔵はいつからクールな美形になったのか」と並んで個人的にも大きな疑問だったもの。良い機会なので、これまであれこれと考えたりしたものをざっと挙げてみます。 あくまでもまだまだメモ程度のものであり、材料も大いに不足しておりますので、あらかじめそのつもりでご覧くださいますよう…いや当に穴だらけでごめんなさい。 1.史実 「日武術神妙記」等に引用されているような当時の随筆・武芸譚等をざっと見ましたが、特段の黒さは感じず。尤も、剣術や武術にまつわる逸話ばかりなので、「黒さ」はそもそも描かれにくいのかもしれません(一手指南と言ってきた相手にに飼ってた猿と試合させたり、煙草吸いすぎと言われたら長い長い煙管作って隣の部屋で煙出るようにしたり、能が超好きで周囲に進め

    満身創痍で柳生宗矩観の変遷を考えてみたメモ - 時代伝奇夢中道 主水血笑録
  • マムルーク - Wikipedia

    この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注によって参照されておらず、情報源が不明瞭です。脚注を導入して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2019年9月) オスマン帝国のマムルーク重騎兵(1550年頃) マムルーク(単数形 : مملوك mamlūk, 複数形 : مماليك mamālīk)は、10世紀から19世紀初頭にかけてトルコとアラビア半島を中心とするイスラム世界に存在した奴隷身分出身の軍人を指す。トルコ奴隷とも邦訳される。 言葉通りの奴隷ではなく、その社会的位置付けは時代と共に大きく変遷しており、総括的に言えば軍人徒弟に近い存在である。幼少期から戦闘訓練を積んだ彼らはエリート軍人と見なされて高い地位に就く事もあり、栄達した者はマムルークの親方となって新たな少年奴隷ないし徒弟を召し抱えた。 概要[編集] 原義は「所有(m-l-k)された者」を意味し、来は

    マムルーク - Wikipedia
    keshiki
    keshiki 2006/09/23
    最近のPLUTOの展開を見てると、キリスト社会とイスラム社会の奴隷観の違いも関わってるのかな、と。