上左図 B.C20000年~10000年頃の氷河時代が去り縄文海進時代の幕開けで海面上昇期に入り、河内平野の低地に海水の浸入が始まり、やがて右図のように河内湾の時代となる。この時代の大和川は網状流路で低地全域に流れていたと思われます。 上左図 弥生時代中期のB.C90年頃にになると河内湾・潟の時代を経て河内湖になり瀬戸内海からの偏西風によって吹き寄せられる砂や北方の淀川から排出される土砂により上町台地と淀川デルタで河内湖の瀬戸内海への出口を塞ぎ、やがて淀川と大和川から排出される土砂で河内湖が埋められ沖積平野が形成される。(大阪文化財研究所大坂遺跡より) 右図は旧大和川流域の発掘調査に携わられた大阪府文化財センタ-の坂田育功先生が作成された大和川流路変遷過程論文記載の図です。七世紀代の大和川本流は八尾市美園遺跡南端で検出された幅70m、深さ2mの規模を持つ流路でこの上流をたどると宮町・八尾神