anond:20240506174540 に追記しようとしたら長すぎたので記事を改める。 meganeya3 短歌の考えは知らんが増田の俳句の考えとして「やせ蛙 負けるな一茶 ここにあり」はどうなの? 私の短歌・俳句論について、異論は認めるのだが、この一句は反例とは思えない。むしろ私の認識を強化することにしかなっていない。 この句は一見情念のこもった句に見えるが、この句における一茶はあくまでも風景の一要素としてやせ蛙と並列されている。つまりは蛙ごときに向かい合って必死になっている俳人の描写である。一茶の句におかしみがあるのは、滑稽な自分を冷静に客観視できるからこそで、情念を込めてやろうという精神からはかけ離れている。 それに対して、例えば同じ蛙を描写した以下の斎藤茂吉の歌はどうだろう。 死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる この歌は一茶の句と比べると写実的で情念の無い描写に見