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採用と書評に関するkiku-chanのブックマーク (3)

  • 本田由紀を読む 4 ハイパーメリトクラシー化 - 高校公民Blog

    コンテストの能力 私はこのところ、授業でコンテストという企画を挿入し、その結果を成績に反映させています(詳細はこちらで コンテスト1、2、3、4)。 つまり、これを簡単に言うとこういうゲームです。 いま、あなたにこういうお題を投げましょう。 「なぜ、友達が喫煙しているのを、体に悪いのに、止めないのか?」 この質問に答えるのです。しかも、その質問を学年のみなさんの投票に当てます。そして、一位に選ばれた人にテストの点数にして30点分を進呈しましょう。 さて、これは、大変な能力です。ただ書けばよいのではありません。支持されなければいけません。それも、特定の誰に支持をえる、というのではありません。不特定の支持を取り付けるのです。そのための文章能力が必要になります。陳腐なみんなと同じような文章では支持は得られないでしょう。 さて、そのときに、みなさんは、 これを一年後に、実施します。その結果で東京大

  • 本田由紀『多元化する「能力」と日本社会』 - 晴耕雨読-ある社会学者の日常

    田はこので、現代日がハイパーメリトクラシー、すなわち人々のどんな種類の能力も何でもかんでも測定して評価する、そういう社会に変貌しつつあると主張している。興味深い部分もあるが、理論とデータの扱いにおいて少々問題を感じるところも多い。 1 田は、ハイパーメリトクラシー社会への変化を、「近代型能力」と「ポスト近代型能力」という二分法で描き出そうとする。前者はこれまでのメリトクラシー社会で主に評価されたいわゆる「学力」であり、後者は文科省が「生きる力」と呼んだような種類の能力である。 田が述べるように、日において、企業と文科省が1980年代後半から2000年頃まで、「ポスト近代型能力」を重視する方向できたことは疑う余地もない。しかしそれが先進国に共通する変化か、と言うと大きな疑問である。 田は、ベックやギデンズを引用し、見田の「情報化/消費化社会」の議論を引用しながら、どうして日

    本田由紀『多元化する「能力」と日本社会』 - 晴耕雨読-ある社会学者の日常
  • 『18歳の今を生きぬく 高卒1年目の選択』

    『18歳の今を生きぬく 高卒1年目の選択』 なかなか興味深い調査である。 若い人がどのようにフリーターになるか、あるいは、正規の職につくか、あるいは進学の夢を持ち直すのか、を追跡した調査だ。 統計では質が捨象されてしまう、という方法と逆の方に行けば、「ルポ」というやり方があるだろう。 NHKドキュメンタリーの「フリーター漂流」や「ワーキングプア」などはこの方法をとった。事態の質をあらわしていると思える「典型的」人物を探し、その人間に焦点をあてて、問題を浮かび上がらせるという手法である(むろんそのなかで「統計」は駆使されるが、統計と典型的人物は画然と分かれている)。 この調査がとった方法は、いわばその中間をいくものだった。 東京の公立高校を2つ選んで、高三生89人から聞き取りをおこない、その後の過程を2年間にわたって追跡し、インタビューをくり返したものなのだ。 〈私たちは、あえて中間層以下

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