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本田由紀『多元化する「能力」と日本社会』 - 晴耕雨読-ある社会学者の日常
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本田由紀『多元化する「能力」と日本社会』 - 晴耕雨読-ある社会学者の日常
本田はこの本で、現代日本がハイパーメリトクラシー、すなわち人々のどんな種類の能力も何でもかんでも... 本田はこの本で、現代日本がハイパーメリトクラシー、すなわち人々のどんな種類の能力も何でもかんでも測定して評価する、そういう社会に変貌しつつあると主張している。興味深い部分もあるが、理論とデータの扱いにおいて少々問題を感じるところも多い。 1 本田は、ハイパーメリトクラシー社会への変化を、「近代型能力」と「ポスト近代型能力」という二分法で描き出そうとする。前者はこれまでのメリトクラシー社会で主に評価されたいわゆる「学力」であり、後者は文科省が「生きる力」と呼んだような種類の能力である。 本田が述べるように、日本において、企業と文科省が1980年代後半から2000年頃まで、「ポスト近代型能力」を重視する方向できたことは疑う余地もない。しかしそれが先進国に共通する変化か、と言うと大きな疑問である。 本田は、ベックやギデンズを引用し、見田の「情報化/消費化社会」の議論を引用しながら、どうして日本が