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ブックマーク / note.com/sasakiatsushi (7)

  • R.I.O. 1993 |佐々木敦

    (初出:『ユリイカ』1993.4月号 特集=ロック——身体を拡張する音響装置) ●R.I.O.とは何か 1978年、ロンドン。イギリスのメタ・プログレッシヴ・ロック・バンド(人たちは“ダダ・ブルース・バンド”などと名乗っていたが)ヘンリー・カウが、彼らとともに複数のグループが出演する合同コンサートを行った。題して“ROCK IN OPPOSITION”。これはバンド自身によって企画、運営された、完全な自主イヴェントであり、カウの呼び掛けに応じて、フランス、イタリア、スウェーデン、ベルギーの4カ国から、意識的なロック・グループが結集したR.I.O.はこの催しを直接的なきっかけとして発足した、一種のユニオンである。彼らはこの後、更に別の国からの参加バンドも加えて、スイスで最初のミーティングを開き、ヨーロッパにおけるインディペンデントな音楽活動をさまざまな面でサポートするための組織としてR.I

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    kiku72 2023/06/18
  • 幸宏さんについて私が思っている二、三の事柄|佐々木敦|note

    初出は「ユリイカ」。『批評王』に収録されているテクストです。 私は音楽ライター稼業が長かったので、YMOのお三方とは過去何度かお話させていただいたことがある。それぞれのソロ活動にかんして折々の機会にインタビューすることもあったし、YMOとして、あるいはまだそう名乗ることをしていなかった、まだYMOとは名乗れなかった頃に(最初にそう名乗っていた頃には勿論会っていない。私はまだ高校生だった)、三人全員に取材ということもあった。それは比較的最近のことだが(それでも五、六年くらい昔だ)、そのときの話をしたいと思う。でもまずは別のことから始める。 編集部からの依頼はニューアルバムをきっかけに、ということだった。『LIFE ANEW』だ。とても素敵な作品で、入手してから何度も聴いた。この作品のレコーディングに当たって、幸宏さんは Yukihiro Takahashi with In Phaseというバ

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    kiku72 2023/01/20
  • 小沢健二『刹那』レビュー|佐々木敦

    *ゼロ年代前半に存在していた月刊誌「インビテーション」で連載していたディスクレビューより、小沢健二の(当時の)ベストアルバム『刹那』評。 現在は『ソフトアンドハード』(太田出版・絶版)に再録されています。 ごく簡単にいって、小山田圭吾が「音」の人だとすれば、小沢健二は「ことば」の人だと思う。それは歌詞を重要視しているといった表面的なことばかりではなくて、小沢健二の音楽が起動する端緒においては、常に何らかの「ことば」の働きが、決定的に関与しているように思える、ということだ。これはコーネリアスがもっぱらリズムとトーンで思考し、およそまったく言語を必要としていないように思えるのとは対照的である。 さて、そこで「刹那」だ。なぜ、この小沢健二自身の選曲によるアルバム未収録曲集のタイトルとして「刹那」という言葉が選ばれたのか? 一見したところ、ここに集められたいかにもゴキゲンでお気楽なポップ・ソングた

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    kiku72 2022/05/26
  • フランク・ザッパの四分三十三秒|佐々木敦

    *『ex-music』(河出書房新社)および『ex-music(L)』(アルテスパブリッシング)より。フランク・ザッパがジョン・ケージの「4分33秒」をカバーしていた?という話。30年くらい前に書いた文章です。 レコーディングの日付がどこにもないので、必ずしも正確な話ではないのだが、昨年末惜しくも他界した、「アメリカ音楽」の偉大なるマエストローーフランク・ザッパの生涯で最後の録音は、ひょっとすると、ジョン・ケージの作品の"カヴァー"ということになるのかもしれない。しかも曲目は、あの《四分三十三秒》である。 ケージの死後、いわゆる「現代音楽」よりも、はるかに幅広い音楽の領域から、追悼もしくはトリピュートの試みが、いくつも行われたが、その内のひとつ、二十組を越える多彩なアーティストが参加した二枚組アルバム『A CHANCE OPERATION the John cage tribute』に、

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    kiku72 2022/04/28
  • 言語の習得と運転の習熟ー濱口竜介『ドライブ・マイ・カー』論|佐々木敦

    *期間限定公開です。論は同じく既発表の『偶然と想像』論、書き下ろしの『親密さ』論と併せて、今週刊行予定の単行に収録予定です。 村上春樹の短編小説「ドライブ・マイ・カー」は『女のいない男たち』の冒頭に置かれている。六編が収められたこの短編集は、この作品から最後に据えられた書き下ろしの表題作まで、ざっくりと「女のいない男たち」(作者自身が「まえがき」で述べているようにヘミングウェイの短編集のタイトル“Men Without Women”から採られている)が描かれている点が共通しているだけで、他には相互の関係は(おそらく)ない。「まえがき」によると、村上氏は短編集になる小説をまとめ書きしてしまうそうである。「ドライブ・マイ・カー」は最初に書かれた作品だったという。さほど長くはない、ごく平均的な短編小説と言ってよいだろう。 濱口竜介監督は、この小説を「原作」として、上映時間三時間の映画を撮った

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    kiku72 2022/03/28
  • なぜ、ノオトをやるのか?|佐々木敦

    たとえば自分でネットに何かを書いて公開すれば、原理的には無限の他者=読者に開かれていることにはなる。けれども実際には、当然のことながら、そうはならない。それはただ条件として「複数の誰かに読まれる可能性がゼロではない」というだけのことで、現実に未知の読者を得るには、少なからぬ工夫や苦労や智慧が必要になることは、誰もがわかっていることだろう。 と同時に、いわゆる「ネットでバズる」には一定の方法論があり、そこに上手くハマれば一挙に不特定多数からの関心が寄せられる、という傾向がどんどん強まってきていて、結果として、もともとは勝手気儘にやっていたはずなのに、いつの間にか、あるのかどうかもわからない「ニーズ」みたいなものに囚われていってしまう危険性もある。無償でやっているからこそ、反応が乏しかったり、どこかの誰かに読まれているという手応えが得られないと、だんだん虚しくなってきて、金銭とは異なるモチベー

    なぜ、ノオトをやるのか?|佐々木敦
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    kiku72 2021/07/04
  • ひとり雑誌を創刊します|佐々木敦

    とつぜんですが、「ひとり雑誌」を始めようと思います。タイトルは「佐々木敦ノオト」です。 noteの有料継続マガジンとして、書き下ろしのオリジナル記事を毎月複数掲載していきます。幾つかの記事は個別でも販売しますが、定期購読のほうがずっとお得です。マガジンでしか読めない記事もあります。 「ノオト」の内容は、日記/日誌/メモ的な、ごく短い「記」と、映画音楽小説、書物、演劇などなど、芸術文化/カルチャーのさまざまなジャンルにまたがるレビューの「評」と、やはりオーバージャンルの、将来的な単行化を見据えた連載を含む、比較的長めの「論」と、世界や世間のあれこれについての思いつきや意見など、ちょっとオピニオンぽい「想」などから構成されています。半分閉ざされた場でしか言えないようなことも書いていきたいし、いろいろと新しい試みもしてみたいと考えています。 いま、「半分閉ざされた場」と書きました。つまり、

    ひとり雑誌を創刊します|佐々木敦
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    kiku72 2021/06/27
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